不動智神妙録 / 石火之機
石火之機と申す事の候、是れも前の心持にて候、石をハタと打つや否や光が出で、打つと其のまゝ出る火なれば間も透間もなき事にて候、是れも心の止るべき間のなき事を申し候、早き事とばかり心得候へば惡敷候、心を物に止め間敷と云ふが詮にて候。
新字:石火之機と申す事の候、是れも前の心持にて候、石をハタと打つや否や光が出で、打つと其のまゝ出る火なれば間も透間もなき事にて候、是れも心の止るべき間のなき事を申し候、早き事とばかり心得候へば悪敷候、心を物に止め間敷と云ふが詮にて候。
書き下し
石火之機と申す事の候、是れも前の心持にて候、石をハタと打つや否や光が出で、打つと其のまゝ出る火なれば間も透間もなき事にて候、是れも心の止るべき間のなき事を申し候、早き事とばかり心得候へば悪敷候、心を物に止め間敷と云ふが詮にて候。
現代語訳
石火の機ということがあります。これも先ほどと同じ心持ちです。石をかちんと打つや否や光が出ます。打つとそのまま出る火ですから、間も隙間もないことです。これも心がとどまるべき間のないことを言うのです。ただ速いことだとばかり心得ては、よくありません。心を物にとどめてはならない、というのが要点なのです。
解説
石火の機は、火打石を打った瞬間に火花が散るように、間を置かずに応じることを言う。ここで沢庵が念を押しているのは、それを単なる速さと取り違えるな、ということだ。大切なのは速度ではなく、心が物にとどまらないことである。速く動くことばかり意識すれば、速く動こうとする心がまた一つのとらわれになる。スピードを求められる時代に、速さそのものを目的にしてはならないという戒めとして読める。
この章句が説くこと
石火之機速さとらわれ本質即応剣
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