不動智神妙録 / 初心と至極
扨初心の住地より修行して不動智の位に至れは、立歸つて住地の初心の位へ落つべき子細御入り候。貴殿の兵法にて可申候、初心は身に持つ太刀の構も何も知らぬものなれば身に心の止まる事もなし、人が打ち候へはつひ取合ふばかりにて何の心もなし、然る處にさまざまの事を習ひ、身に持つ太刀の取樣、心の置所、いろいろの事を敎へぬれば色々の處に心が止り、人を打たんとすれば兎や角して殊の外不自由なる事、日を重ね年月をかさね稽古するに從ひ、後は身の構も太刀の取樣も、皆心になくなりて唯最初の何か知らぬ何もなき時の樣也、
新字:扨初心の住地より修行して不動智の位に至れは、立帰つて住地の初心の位へ落つべき子細御入り候。貴殿の兵法にて可申候、初心は身に持つ太刀の構も何も知らぬものなれば身に心の止まる事もなし、人が打ち候へはつひ取合ふばかりにて何の心もなし、然る処にさまざまの事を習ひ、身に持つ太刀の取様、心の置所、いろいろの事を教へぬれば色々の処に心が止り、人を打たんとすれば兎や角して殊の外不自由なる事、日を重ね年月をかさね稽古するに従ひ、後は身の構も太刀の取様も、皆心になくなりて唯最初の何か知らぬ何もなき時の様也、
書き下し
扨初心の住地より修行して不動智の位に至れは、立帰つて住地の初心の位へ落つべき子細御入り候。貴殿の兵法にて可申候、初心は身に持つ太刀の構も何も知らぬものなれば身に心の止まる事もなし、人が打ち候へはつひ取合ふばかりにて何の心もなし、然る処にさまざまの事を習ひ、身に持つ太刀の取様、心の置所、いろいろの事を教へぬれば色々の処に心が止り、人を打たんとすれば兎や角して殊の外不自由なる事、日を重ね年月をかさね稽古するに従ひ、後は身の構も太刀の取様も、皆心になくなりて唯最初の何か知らぬ何もなき時の様也、
現代語訳
さて、初心の住地から修行して不動智の位に至れば、立ち返って住地の初心の位へ落ちていくわけがあります。あなたの兵法で申しましょう。初心の者は、身に持つ太刀の構えも何も知らないので、身に心がとどまることもありません。人が打ってくれば、つい取り合うだけで、何の心もありません。そこへいろいろなことを習い、身に持つ太刀の取り方、心の置き所など、いろいろなことを教わると、あちこちに心がとどまって、人を打とうとすれば、ああだこうだとして、ことのほか不自由になります。日を重ね、年月を重ねて稽古するにしたがって、のちには身の構えも太刀の取り方も、みな心から消えて、ただ最初の、何も知らず何もないときのようになります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
葉隠・聞書第一手跡(しゅせき)の行儀正しく、疎略(そりゃく)なきより上はあるまじけれども、その分にては、堅(かた)くれ賤(いや)しく見ゆるなり。この上に、格(かく)を離(はな)れたる姿あるべし。諸事(しょじ)にこの理(ことわり)あるべし。
-
『呻吟語』内篇・修身・俗氣膏肓に入る俗氣膏肓に入らば、扁鵲も治す能はず。人と為り胸中に分毫の道理無くして、庸調卑職、虛文濫套を之を認むること極めて真にして、之を執ること甚だ定まる。是の人や、將に救藥せんと欲するも、入る可からざるを知る。吾が黨之を戒めよ。
-
論語・先進篇子張、善人の道を問う。子曰く、「跡を践まずんば、亦た室に入らず。」
-
孟子・告子章句上孟子曰く、「羿(ゲイ)の人に射を教うるには、必ず彀(コウ)に志す。學者も亦た必ず彀に志す。大匠の人に誨うるには、必ず規矩を以てす。學者も亦た必ず規矩を以てす。」
-
『呻吟語』内篇・修身・世に十態有り世に十態有り、君子は焉を免る。武人の態(粗豪)無く、婦人の態(柔懦)無く、兒女の態(嬌稚)無く、市井の態(貪鄙)無く、俗子の態(庸陋)無く、蕩子の態(儇佻)無く、伶優の態(滑稽)無く、閭閻の態(村野)無く、堂下人の態(局迫)無く、婢子の態(卑諂)無く、偵諜の態(詭暗)無く、商賈の態(衒售)無し。
-
『呻吟語』内篇・問學・硜硜として自ら守る志有るの士は百行兼修し、萬善俱に足るを要す。若し只だ一種の人と作り、硜硜として自ら守り、沾沾として自ら多しとせば、這れ便ち長進せず。