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不動智神妙録 / 諸仏不動智

千手觀音とて手が千御入り候はヾ、弓を取る手に心が止らば九百九十九の手は皆用に立ち申す間敷候、一所に心を止めぬにより手か皆用に立つなり、觀音とて身一つに千の手か何しに可有候、不動智か開け候へは身に手が千有りても皆用に立つと云ふ事を人に示さんが爲めに作りたる容にて候、假令一本の木に向ふて其內の赤き葉一つを見て居れば、殘りの葉は見へぬなり、葉ひとつに目をかけずして一本の木に何心もなく打向ひ候へば、數多の葉殘らず目に見え候、葉一つに心をとられ候はヾ殘りの葉は見えず、一つに心を止めねば、百千の葉みな見え申し候。

新字:千手観音とて手が千御入り候はヾ、弓を取る手に心が止らば九百九十九の手は皆用に立ち申す間敷候、一所に心を止めぬにより手か皆用に立つなり、観音とて身一つに千の手か何しに可有候、不動智か開け候へは身に手が千有りても皆用に立つと云ふ事を人に示さんが為めに作りたる容にて候、仮令一本の木に向ふて其内の赤き葉一つを見て居れば、残りの葉は見へぬなり、葉ひとつに目をかけずして一本の木に何心もなく打向ひ候へば、数多の葉残らず目に見え候、葉一つに心をとられ候はヾ残りの葉は見えず、一つに心を止めねば、百千の葉みな見え申し候。

書き下し

千手観音とて手が千御入り候はヾ、弓を取る手に心が止らば九百九十九の手は皆用に立ち申す間敷候、一所に心を止めぬにより手か皆用に立つなり、観音とて身一つに千の手か何しに可有候、不動智か開け候へは身に手が千有りても皆用に立つと云ふ事を人に示さんが為めに作りたる容にて候、仮令一本の木に向ふて其内の赤き葉一つを見て居れば、残りの葉は見へぬなり、葉ひとつに目をかけずして一本の木に何心もなく打向ひ候へば、数多の葉残らず目に見え候、葉一つに心をとられ候はヾ残りの葉は見えず、一つに心を止めねば、百千の葉みな見え申し候。

現代語訳

千手観音といって手が千本おありでも、弓を取る一本の手に心がとどまれば、残りの九百九十九本の手はみな役に立たないでしょう。一か所に心をとどめないから、手がみな役に立つのです。観音といっても、一つの身に千本の手がどうしてあるでしょうか。不動智が開ければ、身に手が千本あってもみな役に立つということを、人に示すために作った姿なのです。たとえば、一本の木に向かって、その中の赤い葉一枚を見ていれば、残りの葉は見えません。葉一枚に目をかけず、一本の木に何の心もなく向き合えば、たくさんの葉が残らず目に見えます。葉一枚に心を取られれば残りの葉は見えず、一枚に心をとどめなければ、百千の葉がみな見えるのです。

解説

千手観音と一本の木の比喩は、この書の中でも特によく引かれる。赤い葉一枚に注目すれば、他の葉は見えなくなる。何も狙わずに木全体に向き合えば、すべての葉が見える。部分に集中するほど全体を見失うという指摘は、細部にこだわりすぎて全体像を失いがちな仕事の場面によく当てはまる。多くの部下や事業を抱える立場の人ほど、特定の一つに心を奪われず、全体を見渡す構えが求められる。

この章句が説くこと

千手観音全体俯瞰とらわれ組織比喩

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