塩鉄論 / 申韓篇
御史曰:「待周公而為相、則世無列國。待孔子而後學、則世無儒、墨。夫衣小缺、襟裂可以補、而必待全匹而易之、政小缺、法令可以防、而必待雅、頌乃治之、是猶舍鄰之醫、而求俞跗而後治病、廢汙池之水、待江、海而後救火也。迂而不徑、闕而無務、是以教令不從而治煩亂。夫善為政者、弊則補之、決則塞之、故吳子以法治楚、魏、申、商以法強秦、韓也。」
新字:御史曰:「待周公而為相、則世無列国。待孔子而後学、則世無儒、墨。夫衣小欠、襟裂可以補、而必待全匹而易之、政小欠、法令可以防、而必待雅、頌乃治之、是猶舎鄰之医、而求兪跗而後治病、廃汚池之水、待江、海而後救火也。迂而不径、闕而無務、是以教令不従而治煩乱。夫善為政者、弊則補之、決則塞之、故呉子以法治楚、魏、申、商以法強秦、韓也。」
書き下し
御史曰く、周公を待ちて相と為さば、則ち世に列國無からん。孔子を待ちて後に學ばば、則ち世に儒・墨無からん。夫れ衣小しく缺け、襟裂くるも補う可し。而るに必ず全匹を待ちて之に易う。政小しく缺くるも、法令もて防ぐ可し。而るに必ず雅・頌を待ちて乃ち之を治む。是れ猶お鄰の醫を舍てて、俞跗を求めて而る後に病を治め、汙池の水を廢して、江・海を待ちて而る後に火を救うがごときなり。迂にして徑ならず、闕けて務む無し。是を以て教令從われずして治は煩亂す。夫れ善く政を為す者は、弊るれば則ち之を補い、決すれば則ち之を塞ぐ。故に吳子は法を以て楚を治め、魏・申・商は法を以て秦・韓を強くす。
現代語訳
御史が言った。「周公を待ってから宰相にするというなら、世に列国は無かっただろう。孔子を待ってから学ぶというなら、世に儒者も墨者も無かっただろう。衣がわずかに欠け、襟が裂けても繕うことはできる。それなのに必ず一反まるごとを待って取り替えようとする。政がわずかに欠けても、法令で防ぐことはできる。それなのに必ず雅や頌を待ってから治めようとする。これでは、隣の医者を捨てて名医の兪跗を探してから病を治し、汚れた池の水を捨てて長江や海を待ってから火を消そうとするようなものだ。遠回りで近道せず、欠けたまま何も手を打たない。だから命令は従われず、治めることは煩わしく乱れる。政をうまく行う者は、破れれば繕い、決壊すれば塞ぐ。だから呉起は法によって楚を治め、魏・申不害・商鞅は法によって秦と韓を強くしたのだ」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 張丞相列伝張丞相蒼(ちやうじやうしやうさう)は、陽武の人なり。書・律歴を好む。秦の時に御史と為り、柱下の方書を主る。罪有りて、亡げ帰る。沛公の地を略して陽武を過ぐるに及び、蒼は客を以て従ひて南陽を攻む。蒼は法に坐して斬に当たり、衣を解きて質に伏す。身長大にして、肥白なること瓠(ひさご)の如し。時に王陵見て其の美士なるを怪しみ、乃ち沛公に言ひて、赦して斬らざらしむ。遂に従ひて西のかた武関に入り、咸陽に至る。沛公立ちて漢王と為り、漢中に入り、還りて三秦を定む。陳餘、常山王張耳を撃ちて走らす。耳、漢に帰す。漢乃ち張蒼を以て常山の守と為す。淮陰侯に従ひて趙を撃ち、蒼、陳餘を得たり。趙の地已に平らぎ、漢王、蒼を以て代の相と為し、辺寇に備へしむ。已にして徙りて趙の相と為り、趙王耳に相たり。耳卒し、趙王敖に相たり。復た徙りて代王に相たり。燕王臧荼反し、高祖往きて之を撃つ。蒼は代の相を以て従ひて臧荼を攻めて功有り、六年中を以て封ぜられて北平侯と為り、食邑千二百戸。遷りて計相と為り、一月にして、更に列侯を以て主計と為ること四歳。是の時蕭何相国為り。而して張蒼は乃ち秦の時より柱下の史と為り、天下の図書・計籍に明習す。蒼又善く算・律歴を用ふ。故に蒼をして列侯を以て相府に居り、郡国の上計する者を領主せしむ。黥布反して亡び、漢、皇子長を立てて淮南王と為し、而して張蒼之に相たり。十四年、遷りて御史大夫と為る。
-
言志四録・言志後録 第二百十三条 老錬の人の話頭文儒の一概に武人俗吏を蔑視するは、太だ錯れり。老錬の人の話頭、往往予を起す。
-
『留魂録』第十一条小林は鷹司家の諸大夫にて、此の度遠島の罪科に処せらる。京師諸人中罪責極めて重し。其の人多材多芸、唯文学に深からず、処事の才ある人と見ゆ。西奥揚屋にて余と同居す、後東口に移る。京師にて吉田の鈴鹿石州・同筑州別けて知己の由。亦山口三輶も小林の為めに大いに周旋したれば、鈴鹿か山口かの手を以て、海外までも吾が同志の士通信をなすべし。京師の事に就きては後来必ず力を得る所あらん。
-
『呻吟語』内篇・修身・本然底の分量を滿たす平日書を讀むは、惟だ官を做すのみ是れ展布の時なり。窮居の見聞する所及び生平為さんと欲する所を將て一一之を試嘗す。須らく是れ理むる所の政事は各おの其の宜しきを得、治むる所の人物は各おの其の所を得べし。才かに是れ本然底の分量を滿たすなり。
-
『呻吟語』外篇・品藻・惟だ建業立功のみ是れ難事儒者は惟だ建業立功のみ是れ難事なり。自古の儒者の名を成すは多く是れ講學著述にして、人未だ嘗て盡くは言ふ所を試みず。恐らくは試みて後縱ひ邪氣ならざるも、其の實個の事功を成して狼狽して敗れざる者は定めて多く人ならず。
-
史記 蕭相国世家蕭相国何は、沛の豊の人なり。文無害なるを以て沛の主吏掾と為る。高祖布衣為りし時、何数々吏事を以て高祖を護る。高祖亭長と為るや、常に之を左右す。高祖吏を以て咸陽に繇するに、吏皆銭三を送奉す、何独り五を以てす。秦の御史の郡を監する者与に事に従ひ、常に之を辨ず。何乃ち泗水の卒史の事を給し、第一なり。秦の御史入りて言ひて何を徴せんと欲す、何固く請ひ、行くこと毋きを得たり。高祖起ちて沛公と為るに及び、何常に丞と為りて事を督す。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る