塩鉄論 / 論菑篇
文學曰:「天道好生惡殺、好賞惡罪。故使陽居於實而宣德施、陰藏於虛而為陽佐輔。陽剛陰柔、季不能加孟。此天賤冬而貴春、申陽屈陰。故王者南面而聽天下、背陰向陽、前德而後刑也。霜雪晚至、五穀猶成。雹霧夏隕、萬物皆傷。由此觀之:嚴刑以治國、猶任秋冬以成穀也。故法令者、治惡之具也、而非至治之風也。是以古者、明王茂其德教、而緩其刑罰也。網漏吞舟之魚、而刑審於繩墨之外、及臻其末、而民莫犯禁也。」
新字:文学曰:「天道好生悪殺、好賞悪罪。故使陽居於実而宣徳施、陰蔵於虚而為陽佐輔。陽剛陰柔、季不能加孟。此天賤冬而貴春、申陽屈陰。故王者南面而聴天下、背陰向陽、前徳而後刑也。霜雪晩至、五穀猶成。雹霧夏隕、万物皆傷。由此観之:厳刑以治国、猶任秋冬以成穀也。故法令者、治悪之具也、而非至治之風也。是以古者、明王茂其徳教、而緩其刑罰也。網漏呑舟之魚、而刑審於縄墨之外、及臻其末、而民莫犯禁也。」
書き下し
文學曰く、天道は生を好みて殺を惡み、賞を好みて罪を惡む。故に陽をして實に居らしめて德施を宣べ、陰をして虛に藏れしめて陽の佐輔と為す。陽は剛、陰は柔なり。季は孟に加うる能わず。此れ天の冬を賤しみて春を貴び、陽を申べて陰を屈するなり。故に王者は南面して天下に聽き、陰に背き陽に向かい、德を前にして刑を後にするなり。霜雪晚く至るも、五穀は猶お成る。雹霧夏に隕つれば、萬物皆な傷る。此れに由りて之を觀れば、嚴刑以て國を治むるは、猶お秋冬に任じて以て穀を成すがごときなり。故に法令は、惡を治むるの具にして、至治の風に非ざるなり。是を以て古者、明王は其の德教を茂んにして、其の刑罰を緩くす。網は舟を吞むの魚を漏らして、刑は繩墨の外に審らかなり。其の末に臻るに及びて、民は禁を犯す莫し。
現代語訳
文学が言った。「天の道は生を好んで殺を憎み、賞を好んで罪を憎みます。だから陽を実の側に置いて徳の施しを述べさせ、陰を虚の側に隠して陽の補佐とした。陽は剛、陰は柔です。末の季は初めの孟に勝てない。これは天が冬を賤しんで春を貴び、陽を伸ばして陰を屈するということです。だから王者は南を向いて天下の声を聴き、陰を背にして陽に向かい、徳を前にし刑を後にするのです。霜や雪が遅く来ても、五穀はなお実ります。雹や霧が夏に落ちれば、万物はみな傷つく。こう見てくると、厳しい刑で国を治めるのは、秋と冬に任せて穀物を実らせようとするようなものです。だから法令は悪を治める道具であって、至高の治世の風ではありません。だから古の明君は徳の教えを盛んにし、刑罰をゆるめました。網は舟を呑むほどの魚を漏らすほど粗く、刑は墨縄の外まで明らかだった。その末に至って、民は禁を犯さなくなったのです」
解説
この章句が説くこと
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論語・為政篇子曰く、政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰其の所に居て衆星之に共(むか)うが如し。
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論語・為政篇子曰く、之を道びくに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道びくに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有り且つ格(いた)る。
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『翁問答』下卷之本大舜周公その才徳は聖人、其位は天子家宰にてかくの如くにましませば、末代の天子諸侯まもり行ひたまふ所謙より大きなるはなき事をあきらかに弁まふ可し、しかるゆへに国を治め天下を平かにする要領、謙の一字にきはまれり、謙徳はたとへば海なり、万民はたとへば水也、海は卑下なるによつて天下の万水みなあつまり帰する如く、天子諸侯謙徳を守りたまひぬれば、国天下の万民みな心を帰してよろこびしたがふもの也、天下の賢智不肖、ことごとく喜びしたがふもの也、天下の賢智愚不肖、ことごとくよろこびしたがふ時は、天下はをのづから治めざるに平か也、されば易経に天道は盈てるを虧きて謙に益し、地道は盈てるを変じて謙に流し、鬼神は盈てるを害して謙に福し、人道は盈てるを悪みて謙を好むと説きたまふ聖謨よくよく尊信ある可し。
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『山鹿語類』士道・勵忠孝出て君に仕ふるに徳を不以、入て父兄に仕へて其孝弟に誠あらざらんには、養気存心の用更にあらはれず。抑徳と云は、内に養ひ存する処を、外に用ひて其誠を尽して無不究理、是をなづけて徳とす。養気存心すと云とも、君父にをいて其誠たらずんば、何ぞ其下に及ばん。然れば所養所存、唯空談にして実なし。凡そ聖人の道は普く天下に施し、大小精粗ともに其用足りて、四海其化に及ぶにをいて、初めて道々たり。わづかに一己にてらし一身を清くせんことは、碌々たる小人、言必信じ行必果すの輩也。されば君父につかへ、其可致のつとめ聊不怠して、しかも其理にかなひ、四海安寧に、家内無事にして、常に変に更に滞る処なきときは、天地の覆て無外、のせて無棄にことならず。是大徳に非ずや。故に徳を練る事は、先づ忠孝を励まして其誠を尽し、君父に事る間、天性にしたがひ守て、更に不違を以て本とすべきなり。
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『春秋左氏伝』閔公二年 慶父、自ら縊る二年春、虢公犬戎を渭汭に敗る。舟之僑曰く、「德無くして祿あるは、殃なり。殃將に至らんとす」と。遂に晉に奔る。夏、莊公に吉禘す、速やかなるなり。初め、公の傅卜齮の田を奪ふ。公禁ぜず。秋八月辛丑、共仲卜齮をして公を武闈に賊せしむ。成季僖公を以って邾に適く。共仲莒に奔る。乃ち入りて、之を立つ。賂を以って共仲を莒に求む。莒人之を歸す。密に及び、公子魚をして請はしむ。許さず。哭して往く。共仲曰く、「奚斯の聲なり」と。乃ち縊る。閔公は、哀姜の娣叔姜の子なり。故に齊人之を立つ。共仲哀姜に通ず。哀姜之を立てんと欲す。閔公の死するや、哀姜與り知る。故に邾に孫る。齊人取りて之を夷に殺し、其の尸を以って歸る。僖公請ひて之を葬る。成季の將に生まれんとするや、桓公卜楚丘の父をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を友と曰ひ、公の右に在らん。兩社に間はり、公室の輔と爲らん。季氏亡びなば、則ち魯昌えず」と。又之を筮し、《大有》の《乾》に之くに遇ふ。曰く、「同じく父に復り、敬すること君の所の如し」と。生まるるに及び、文の其の手に在る有りて「友」と曰ふ。遂に以って之に命く。
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『翁問答』上卷之末体充曰、儒門の心学をきはめずして、軍法に達し軍法をたてゝ、その名たかき大将、倭漢ともに古来多く候へば、心学のみがきなくても、軍法のまなびはなり申べく候、しかるにまづ儒門の心学をきはめてのちに軍法をまなびたるがよしと仰せられ候は不審に存候。師の曰、よきうたがひにて候、大将の才を逞じく生れたる人は、心学のみがきなくても、軍法に達し軍功をば立るといへども、その徳なきゆへに才のたくまじきに迷ひ、必ず人を殺す事を好み、不義無道のふるまひあれば、万民その毒にあたりなげき悲むによつて、終には天罰をかうぶり、其身もほろび国も必ず絶滅するものなり、その証拠はもろこしにても我朝にても、其徳なくて才のみ逞しき大将に、其身難なく子孫繁昌したる人まれなり倭漢の史書にて考へ見るべし、
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