塩鉄論 / 論菑篇
文學曰:「始江都相董生推言陰陽、四時相繼、父生之、子養之、母成之、子藏之。故春生、仁、夏長、德、秋成、義、冬藏、禮。此四時之序、聖人之所則也。刑不可任以成化、故廣德教。言遠必考之邇、故內恕以行、是以刑罰若加於己、勤勞若施於身。又安能忍殺其赤子、以事無用、罷弊所恃、而達瀛海乎?蓋越人美蠃蚌而簡太牢、鄙夫樂咋唶而怪韶濩。故不知味者、以芬香為臭、不知道者、以美言為亂耳。人無夭壽、各以其好惡為命。羿、敖以巧力不得其死、智伯以貪狠亡其身。天菑之證、禎祥之應、猶施與之望報、各以其類及。故好行善者、天助以福、符瑞是也。易曰:『自天佑之、吉無不利。』好行惡者、天報以禍、妖菑是也。春秋曰:『應是而有天菑。』周文、武尊賢受諫、敬戒不殆、純德上休、神祇相況。詩云:『降福穰穰、降福簡簡。』日者陽、陽道明、月者陰、陰道冥、君尊臣卑之義。故陽光盛於上、眾陰之類消於下、月望於天、蚌蛤盛於淵。故臣不臣、則陰陽不調、日月有變、政教不均、則水旱不時、螟螣生。此災異之應也。四時代敘、而人則其功、星列於天、而人象其行。常星猶公卿也、眾星猶萬民也。列星正則眾星齊、常星亂則眾星墜矣。」
新字:文学曰:「始江都相董生推言陰陽、四時相継、父生之、子養之、母成之、子蔵之。故春生、仁、夏長、徳、秋成、義、冬蔵、礼。此四時之序、聖人之所則也。刑不可任以成化、故広徳教。言遠必考之邇、故内恕以行、是以刑罰若加於己、勤労若施於身。又安能忍殺其赤子、以事無用、罷弊所恃、而達瀛海乎?蓋越人美蠃蚌而簡太牢、鄙夫楽咋唶而怪韶濩。故不知味者、以芬香為臭、不知道者、以美言為乱耳。人無夭寿、各以其好悪為命。羿、敖以巧力不得其死、智伯以貪狠亡其身。天菑之証、禎祥之応、猶施与之望報、各以其類及。故好行善者、天助以福、符瑞是也。易曰:『自天佑之、吉無不利。』好行悪者、天報以禍、妖菑是也。春秋曰:『応是而有天菑。』周文、武尊賢受諫、敬戒不殆、純徳上休、神祇相況。詩云:『降福穰穰、降福簡簡。』日者陽、陽道明、月者陰、陰道冥、君尊臣卑之義。故陽光盛於上、衆陰之類消於下、月望於天、蚌蛤盛於淵。故臣不臣、則陰陽不調、日月有変、政教不均、則水旱不時、螟螣生。此災異之応也。四時代敘、而人則其功、星列於天、而人象其行。常星猶公卿也、衆星猶万民也。列星正則衆星斉、常星乱則衆星墜矣。」
書き下し
文學曰く、始め江都の相董生、陰陽を推し言う。四時相繼ぎ、父之を生じ、子之を養い、母之を成し、子之を藏む。故に春に生ずるは仁、夏に長ずるは德、秋に成るは義、冬に藏むるは禮なり。此れ四時の序にして、聖人の則る所なり。刑は任じて以て化を成す可からず、故に德教を廣む。遠きを言うには必ず之を邇きに考う、故に內に恕して以て行う。是を以て刑罰は己に加わるが若く、勤勞は身に施さるるが若し。又た安んぞ能く其の赤子を殺すに忍びて、以て無用に事え、恃む所を罷弊して、瀛海に達せんや。蓋し越人は蠃蚌を美として太牢を簡み、鄙夫は咋唶を樂しみて韶濩を怪しむ。故に味を知らざる者は、芬香を以て臭と為し、道を知らざる者は、美言を以て耳を亂すと為す。人に夭壽無く、各々其の好惡を以て命と為す。羿・敖は巧力を以て其の死を得ず、智伯は貪狠を以て其の身を亡ぼす。天菑の證、禎祥の應は、猶お施與の報を望むがごとく、各々其の類を以て及ぶ。故に好んで善を行う者には、天助くるに福を以てす。符瑞是れなり。易に曰く、「天よりして之を佑く、吉にして利ろしからざる無し」と。好んで惡を行う者には、天報ゆるに禍を以てす。妖菑是れなり。春秋に曰く、「是に應じて天菑有り」と。周の文・武は賢を尊び諫めを受け、敬戒して殆らず。純德上く休く、神祇相い況す。詩に云う、「福を降すこと穰穰たり、福を降すこと簡簡たり」と。日は陽なり、陽の道は明るし。月は陰なり、陰の道は冥し。君尊く臣卑しきの義なり。故に陽光上に盛んなれば、眾陰の類は下に消え、月天に望なれば、蚌蛤は淵に盛んなり。故に臣にして臣たらざれば、則ち陰陽調わず、日月に變有り。政教均しからざれば、則ち水旱時ならず、螟螣生ず。此れ災異の應なり。四時代わる代わる敘でて、人は其の功に則り、星は天に列なりて、人は其の行に象る。常星は猶お公卿のごときなり、眾星は猶お萬民のごときなり。列星正しければ則ち眾星齊しく、常星亂るれば則ち眾星墜つ。
現代語訳
文学が言った。「はじめ江都の相であった董生が陰陽を推し量って言いました。四季は互いに継ぎ、父がこれを生み、子がこれを養い、母がこれを成し、子がこれを蔵める。だから春に生ずるのは仁、夏に伸びるのは徳、秋に実るのは義、冬に蔵めるのは礼である、と。これが四季の順序であり、聖人が則るところです。刑罰に任せて教化を成すことはできません。だから徳による教えを広めるのです。遠いことを言うには必ず近いことに照らす。だから内に思いやりを持って行う。そうすれば刑罰は自分に加えられるように感じられ、労苦は自分の身に施されるように感じられます。それでどうして、自分の赤子を殺すのに忍びながら、役に立たないことに仕え、頼みとするものを疲れ果てさせて、瀛海に達しようなどとできましょう。越の人は貝を美味として太牢の供えを軽んじ、いなか者はやかましい歌を楽しんで韶や濩の楽を怪しみます。だから味を知らない者は、よい香りを臭いと思い、道を知らない者は、よい言葉を耳を乱すものと思うのです。人に生まれつきの若死にや長寿はなく、それぞれ自分の好き嫌いが運命となる。羿や敖は技と力によって畳の上で死ねず、智伯は貪欲さによってその身を滅ぼしました。天の災いのしるしも、めでたい兆しの応じ方も、施しをして報いを望むのと同じで、それぞれ同じ類のものが及ぶのです。だから好んで善を行う者を、天は福で助ける。符瑞がそれです。易に『天よりこれを佑ける、吉にして利しからぬことはない』とあります。好んで悪を行う者に、天は禍で報いる。妖しい災いがそれです。春秋に『これに応じて天の災いがあった』とあります。周の文王と武王は賢者を尊び諫めを受け入れ、慎み戒めて怠らなかった。純粋な徳が高く美しく、天の神と地の神がともに恵みを与えました。詩に『福を降すこと豊かに、福を降すこと大きく』とあります。日は陽であり、陽の道は明るい。月は陰であり、陰の道は暗い。君が尊く臣が卑しいという義です。だから陽の光が上に盛んなら、多くの陰の類は下で消え、月が天に満ちれば、蚌や蛤は淵で盛んになる。だから臣が臣らしくなければ陰陽が調わず、日月に異変がある。政治と教化が公平でなければ、水害や旱魃が時ならず起こり、害虫が生じる。これが災異の応じ方です。四季が代わる代わる巡り、人はその働きに則る。星が天に列なり、人はその運行にかたどる。常星は公卿のようなもの、多くの星は万民のようなものです。列なる星が正しければ多くの星も整い、常星が乱れれば多くの星は墜ちるのです」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『新書』耳痺君臣乖きて調わず、社稷を置きて分裂し、容台振いて掩い敗れ、犬群れ嗥きて淵に入り、彘菹を銜みて奥に適き、燕雀剖けて蚖蛇生じ、[上艹下(左盃右盧)]菹を食らいて口に蛭あり、清水に浴して蠆に遇う。伍子胥事の為す可からざるを見るや、籠に何いて自ら水に投じ、目は抉られて東門に珥され、身は鴟夷にして江に浮かぶ。賊を懐き逆を行い、深く報いて不辜を殃す者は、禍身に至る。越是に於いて果たして謀に逆き約に負き、邦を襲い夫差を剉き、呉を兼ねて拊つ。事済り功成るや、范蠡は石を負いて五湖に蹈み、大夫種は領を䋢ちて室に謝し、渠如は車裂に処りて泉を回す。此より後、句践楽しまず、憂悲荐りに至り、内崩して死す。故に天の誅伐は、広虚幽間、遠くして人無きを為す可からず。重ねて石中に襲りて居ると雖も、其れ必ず之を知らんか。若し誅伐理に順いて辜に当たれば、三軍を殺すも咎無し。誅殺辜に当たらざれば、一匹夫を殺すも、其の罪は皇天に聞こゆ。故に曰く、天の処ること高けれども、其の聴くこと卑し。其の牧すること芒けれども、其の視ること察らかなり、と。故に凡そ自ら行うこと、謹慎せざる可からざるなり。
-
『墨子』天志上然らば則ち禹湯文武の其の賞を得たるは何を以てなるや。子墨子言いて曰く、其の事、上は天を尊び、中は鬼神に事え、下は人を愛す。故に天意に曰く、「此れ之れ我が愛する所、兼ねて之を愛し、我が利する所、兼ねて之を利す。人を愛する者、此れ博しと為し、人を利する者、此れ厚しと為す」と。故に貴きこと天子と為し、富は天下を有ち、萬世の子孫に業せしむ。傳えて其の善を稱し、方く天下に施し、今に至るまで之を稱し、之を聖王と謂う。然らば則ち桀紂幽厲の其の罰を得たるは何を以てなるや。子墨子言いて曰く、其の事、上は天を詬り、中は鬼を誣い、下は人を賤しむ。故に天意に曰く、「此れ之れ我が愛する所、别ちて之を惡み、我が利する所、交ごも之を賊う。人を惡む者、此れ之を博しと為し、人を賊う者、此れ之を厚しと為す」と。故に其の夀を終うるを得ず、其の世を殁えず、今に至るまで之を毁り、之を暴王と謂う。
-
論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
-
『武家家訓集』毛利元就三子教訓状「人を多く失った因果」一我等事、存知之外人を多うしない候之條、此因果候はて叶まじく候と、內々せうしにて候、然間かたがたの御事、此段御つゝしみ肝要候〱、元就一世之內に報候へば不及申候、
-
『春秋左氏伝』僖公十五年 亀は象、筮は数初め、晉の獻公伯姬を秦に嫁せんことを筮し、歸妹の睽に遇ふ。史蘇之を占ひて曰く、「不吉なり。其の繇に曰く、『士羊を刲くも、亦た衁無きなり。女筐を承くるも、亦た貺無きなり。西鄰言を責む、償ふべからざるなり。歸妹の睽、猶ほ相無きがごときなり』と。震の離、亦た離の震なり。『雷と為り火と為り、嬴と為りて姬を敗る。車其の輹を說き、火其の旗を焚く、師を行るに利あらず、宗丘に敗る。歸妹睽孤、寇之が弧を張る。姪其れ姑に從ひ、六年にして其れ逋れ、逃れて其の國に歸り、而して其の家を棄つ。明年、其れ高梁の虛に死せん』と」。惠公秦に在るに及び、曰く、「先君若し史蘇の占に從はば、吾此に及ばざりしならん」と。韓簡侍して曰く、「龜は、象なり。筮は、數なり。物生じて而る後に象有り、象ありて而る後に滋有り、滋ありて而る後に數有り。先君の敗德、數ふるに及ぶべけんや。史蘇是れ占ふとも、從はざるも何の益かあらん。《詩》に曰く、『下民の孽は、天より降るに匪ず。僔沓背憎、職ら競ふは人に由る』と」。夷伯の廟に震す、之を罪するなり、是に於いて展氏に隱慝有り。冬、宋人曹を伐つ、舊怨を討つなり。楚徐を婁林に敗る、徐救ひを恃めばなり。
-
『弁名』天命帝鬼神後世の学者、私智を逞しくして自ら用ふるを喜び、其の心傲然として自ら高しとし、先王孔子の教へに遵はず、其の臆に任せて以て之を言ふ。遂に「天は即ち理なり」の説有り。其の学は理を以て第一義と為す。其の意に謂へらく、聖人の道は唯だ理以て之を尽くすに足ると。此を以て其の見る所、而して「天は即ち理なり」と曰へば、則ち宜しく以て其の天を尊ぶの至りと為すべきが若し。然れども理は諸を其の臆に取れば、則ち亦た「天は我之を知る」と曰ふなり。豈に不敬の甚だしきに非ずや。故に其の説を究むれば、必ず天道は知無しに至りて極まる。程子曰く、「天地は心無くして化有り」と。豈に然らざらんや。易に曰く、「復に其れ天地の心を見るか」と。天の心有る、豈に彰彰著明ならずや。故に書に曰く、「惟れ天は親無し、克く敬するに惟れ親しむ」と。又た曰く、「天道は善に福し淫に禍す」と。易に曰く、「天道は盈を虧きて謙を益す」と。孔子曰く、「罪を天に獲れば、禱る所無し」と。豈に天心を以て之を言ふに非ずや。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る