塩鉄論 / 論鄒篇
文學曰:「堯使禹為司空、平水土、隨山刊木、定高下而序九州。鄒衍非聖人、作怪誤、熒惑六國之君、以納其說。此春秋所謂『匹夫熒惑諸侯』者也。孔子曰:『未能事人、焉能事鬼神?』近者不達、焉能知瀛海?故無補於用者、君子不為、無益於治者、君子不由。三王信經道、而德光於四海、戰國信嘉言、而破亡如丘山。昔秦始皇已吞天下、欲幷萬國、亡其三十六郡、欲達瀛海、而失其州縣。知大義如斯、不如守小計也。」
新字:文学曰:「堯使禹為司空、平水土、随山刊木、定高下而序九州。鄒衍非聖人、作怪誤、熒惑六国之君、以納其説。此春秋所謂『匹夫熒惑諸侯』者也。孔子曰:『未能事人、焉能事鬼神?』近者不達、焉能知瀛海?故無補於用者、君子不為、無益於治者、君子不由。三王信経道、而徳光於四海、戦国信嘉言、而破亡如丘山。昔秦始皇已呑天下、欲幷万国、亡其三十六郡、欲達瀛海、而失其州県。知大義如斯、不如守小計也。」
書き下し
文學曰く、堯は禹をして司空たらしめ、水土を平らげ、山に隨いて木を刊り、高下を定めて九州を序す。鄒衍は聖人に非ず、怪誤を作し、六國の君を熒惑して、以て其の說を納る。此れ春秋の所謂る「匹夫にして諸侯を熒惑す」る者なり。孔子曰く、「未だ人に事うる能わず、焉んぞ能く鬼神に事えん」と。近き者すら達せず、焉んぞ能く瀛海を知らん。故に用に補う無き者は、君子為さず。治に益無き者は、君子由らず。三王は經道を信じて、德は四海に光る。戰國は嘉言を信じて、破亡すること丘山の如し。昔、秦の始皇は已に天下を吞み、萬國を幷せんと欲して、其の三十六郡を亡う。瀛海に達せんと欲して、其の州縣を失う。大義を知ること斯くの如くんば、小計を守るに如かず。
現代語訳
文学が言った。「堯は禹を司空として、水と土を平らげさせ、山に沿って木を伐り、高低を定めて九州を順序立てました。鄒衍は聖人ではなく、怪しく誤ったことを作り出して六国の君主を惑わし、その説を入れさせたのです。これこそ春秋のいわゆる『一介の匹夫が諸侯を惑わす』というものです。孔子は『まだ人に仕えることもできないのに、どうして鬼神に仕えられよう』と言われました。近くのことすら達していないのに、どうして瀛海が分かりましょう。だから用に足さないことを君子は行わず、治に益の無いことに君子は拠りません。三王は経の道を信じて、徳は四海に輝きました。戦国は美しい言葉を信じて、その滅びは丘や山のようでした。昔、秦の始皇はすでに天下を呑み、さらに万国を併せようとして、その三十六郡を失いました。瀛海に達しようとして、その州県を失った。大義を知るというのがこの程度なら、小さな計を守るほうがましです」
解説
この章句が説くこと
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