塩鉄論 / 論功篇
文學曰:「秦滅六國、虜七王、沛然有餘力、自以為蚩尤不能害、黃帝不能斥。及二世弒死望夷、子嬰系頸降楚、曾不得七王之俛首。使六國並存、秦尚為戰國、固未亡也。何以明之?自孝公以至於始皇、世世為諸侯雄、百有餘年。及兼天下、十四歲而亡。何則?外無敵國之憂、而內自縱恣也。自非聖人、得志而不驕佚者、未之有也。」
新字:文学曰:「秦滅六国、虜七王、沛然有余力、自以為蚩尤不能害、黄帝不能斥。及二世弒死望夷、子嬰系頸降楚、曽不得七王之俛首。使六国並存、秦尚為戦国、固未亡也。何以明之?自孝公以至於始皇、世世為諸侯雄、百有余年。及兼天下、十四歳而亡。何則?外無敵国之憂、而内自縦恣也。自非聖人、得志而不驕佚者、未之有也。」
書き下し
文學曰く、秦は六國を滅ぼし、七王を虜にす。沛然として余力有り。自ら以為えらく、蚩尤も害する能わず、黃帝も斥くる能わずと。二世の望夷に弒死し、子嬰の頸を系ぎて楚に降るに及び、曾ち七王の俛首を得ず。六國をして並び存せしめば、秦は尚お戰國為り、固より未だ亡びざるなり。何を以て之を明らかにせん。孝公より以て始皇に至るまで、世世諸侯の雄為ること、百有余年。天下を兼ぬるに及び、十四歲にして亡ぶ。何となれば則ち、外に敵國の憂い無くして、內に自ら縱恣なればなり。聖人に非ざるよりは、志を得て驕佚せざる者は、未だ之れ有らざるなり。
現代語訳
文学が言った。「秦は六国を滅ぼし、七人の王を捕虜としました。あふれるほどの余力があった。自分では、蚩尤にも害されず、黄帝にも退けられまいと思っていたのです。ところが二世が望夷宮で殺され、子嬰が首に縄をかけて楚に降ったときには、七人の王が首を垂れたほどの扱いすら得られませんでした。もし六国が並び立っていたなら、秦はなお戦国の一国として、そもそも滅びなかったでしょう。何によってそれがわかるか。孝公から始皇に至るまで、代々諸侯の雄であったのが百余年。天下を併せてからは、十四年で滅びました。なぜか。外に敵国の憂いが無くなって、内で自ら勝手気ままになったからです。聖人でないかぎり、志を遂げて驕り緩まなかった者は、いまだかつていません」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・形篇故に曰く、勝は知るべきも、為すべからざるなり。
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『塩鉄論』結和篇文學曰く、秦は南のかた勁き越を禽にし、北のかた強き胡を卻け、中國を竭くして以て四夷を役す。人罷れ極まりて主は恤まず、國內潰えて上は知らず。是を以て一夫倡えて天下和し、兵は陳涉に破られ、地は諸侯に奪わる。何ぞ嗣の利する所あらんや。《詩》に云う、「雍雍として鳴く鳱、旭日始めて旦らかなり」と。徒に前利を得て、後の咎を念わず。故に吳王は齊を伐つの便を知りて、干遂の患いを知らず。秦は進取の利を知りて、鴻門の難を知らず。是れ一を知りて十を知らざるなり。周は小を謹みて大を得、秦は大を欲して小を亡う。語に曰く、「前車覆れば、後車の戒め」と。「殷鑒遠からず、夏后の世に在り」と。
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『塩鉄論』結和篇文學曰く、湯は夏に事えて卒に之を服し、周は殷に事えて卒に之を滅ぼす。故に大を以て小を御する者は王たり、強を以て弱を淩ぐ者は亡ぶ。聖人は其の眾を困しめて以て國を兼ねず、良御は其の馬を困しめて以て道を兼ねず。故に造父の御は和を失わず、聖人の治は德に倍かず。秦は利銜を攝りて以て宇內を御し、修棰を執りて以て八極を笞う。驂服以て罷るるに、而も鞭策愈々加う。故に銜を傾け棰を遺つの變有り。士民は眾からざるに非ず、力勤は多からざるに非ざるなり。皆な內に倍き外に附きて用を為す莫し。此れ高皇帝の劍に仗りて天下を取りし所以なり。夫れ兩主好合し、內外交通し、天下安寧にして、世世患い無くんば、士民何をか事とせん。三王何ぞ怒らんや。
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『塩鉄論』誅秦篇文學曰く、周は累世德を積み、天下之を以て君と為さんことを願わざるは莫し。故に勞せずして王たり。恩施は近きより遠きに由りて、蠻・貊自ら至る。秦は戰勝に任じて以て天下を幷せ、海內を小として胡・越の地を貪り、蒙恬をして胡を擊たしめ、河南を取りて以て新秦と為し、而も其の故秦を忘る。長城を築きて以て胡を守り、而も其の守る所を亡う。往者、兵革亟々動き、師旅數々起こり、長城の北、旋車遺鏃相望む。李廣利等の輕計にして馬足還るに及び、寒心せざるは莫し。渾耶を得たりと雖も、亡う所を更むる能わず。此れ社稷の至計に非ざるなり。
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『塩鉄論』誅秦篇文學曰く、禹・舜は、堯の佐なり。湯・文は、夏・商の臣なり。其の八極を從え海內を朝せしめし所以の者は、陸梁の地、兵革の威を以てするに非ざるなり。秦・楚・三晉は萬乘を號し、德を積むを務めずして相侵すを務め、兵を構え強を爭いて卒に俱に亡ぶ。壤を進め地を廣むと雖も、萴を食らいて腸を充たすが如きなり。其の安存を欲するも、何ぞ得可けんや。夫れ禮讓もて國を為むる者は江・海の若し、流れ彌々久しくして竭きざるは、其の本美なればなり。茍くも本無きを為さば、蒿火の暴かに怒りて繼ぐこと無きが若し。其の亡ぶこと立ちどころに待つ可し、戰國是れなり。周は德衰え、然る後に諸侯に列するも、今に至るまで絕えず。秦は力盡きて其の族を滅ぼす。安んぞ人を朝せしむるを得んや。
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『塩鉄論』誅秦篇大夫曰く、秦・楚・燕・齊は、周の封國なり。三晉の君、齊の田氏は、諸侯の家臣なり。內は其の國を守り、外は不義を伐ち、地は廣まり壤は進む。故に號を萬乘に立てて、諸侯と為る。宗周は禮を修め文を長ずるも、然れども國は翦弱にして、自ら存する能わず、東は六國に攝れ、西は秦を畏れ、身は以て放遷され、宗廟は祀を絕つ。先帝の大惠に賴りて、其の後を紹ぎ興し、嘉を潁川に封じ、周子男君と號す。秦既に天下を幷せ、東のかた沛水を絕ち、並せて朝鮮を滅ぼし、南のかた陸梁を取り、北のかた胡・狄を卻け、西のかた氐・羌を略し、帝號を立て、四夷を朝せしむ。舟車の通ずる所、足跡の及ぶ所、畢く至らざるは靡し。其の德に服するに非ず、其の威を畏るればなり。力多ければ則ち人朝し、力寡なければ則ち人に朝す。