塩鉄論 / 論功篇
大夫曰:「匈奴無城廓之守、溝池之固、修戟強弩之用、倉廩府庫之積、上無義法、下無文理、君臣嫚易、上下無禮、織柳為室、旃廗為蓋。素弧骨鏃、馬不粟食。內則備不足畏、外則禮不足稱。夫中國天下腹心、賢士之所總、禮義之所集、財用之所殖也。夫以智謀愚、以義伐不義、若因秋霜而振落葉。春秋曰:「桓公之與戎、狄、驅之爾。」況以天下之力乎?」
新字:大夫曰:「匈奴無城廓之守、溝池之固、修戟強弩之用、倉廩府庫之積、上無義法、下無文理、君臣嫚易、上下無礼、織柳為室、旃廗為蓋。素弧骨鏃、馬不粟食。内則備不足畏、外則礼不足称。夫中国天下腹心、賢士之所総、礼義之所集、財用之所殖也。夫以智謀愚、以義伐不義、若因秋霜而振落葉。春秋曰:「桓公之与戎、狄、駆之爾。」況以天下之力乎?」
書き下し
大夫曰く、匈奴に城廓の守り、溝池の固め、修戟強弩の用、倉廩府庫の積み無し。上に義法無く、下に文理無し。君臣嫚易にして、上下に禮無し。柳を織りて室と為し、旃廗もて蓋と為す。素弧骨鏃にして、馬は粟食せず。內は則ち備え畏るるに足らず、外は則ち禮稱するに足らず。夫れ中國は天下の腹心、賢士の總ぶる所、禮義の集まる所、財用の殖する所なり。夫れ智を以て愚を謀り、義を以て不義を伐つは、秋霜に因りて落葉を振るうが若し。春秋に曰く、「桓公の戎・狄に與けるは、之を驅るのみ」と。況んや天下の力を以てするをや。
現代語訳
大夫が言った。「匈奴には城郭の守りも、堀の固めも、長い戟や強い弩の備えも、倉や蔵の蓄えもない。上には正しい法がなく、下には文の筋道がない。君臣は馴れ合って、上下に礼がない。柳を編んで住まいとし、毛氈で覆いとする。飾りのない弓と骨の鏃で、馬は穀物を食べない。内を見れば備えは恐れるに足らず、外を見れば礼は称するに足らない。中国は天下の腹心であり、賢士の集まるところ、礼義の集まるところ、財と用の殖えるところだ。智をもって愚を謀り、義をもって不義を伐つのは、秋の霜が落ち葉を振るい落とすようなものだ。春秋に『桓公が戎狄にしたことは、追い払っただけである』とある。まして天下の力をもってすれば、どうか」
解説
この章句が説くこと
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