塩鉄論 / 險固篇
文學曰:「阻險不如阻義、昔湯以七十里、為政於天下、舒以百里、亡於敵國。此其所以見惡也。使關梁足恃、六國不兼於秦、河、山足保、秦不亡於楚、漢。由此觀之:沖隆不足為強、高城不足為固。行善則昌、行惡則亡。王者博愛遠施、外內合同、四海各以其職來祭、何擊拓而待?傳曰:『諸侯之有關梁、庶人之有爵祿、非升平之興、蓋自戰國始也。」
新字:文学曰:「阻険不如阻義、昔湯以七十里、為政於天下、舒以百里、亡於敵国。此其所以見悪也。使関梁足恃、六国不兼於秦、河、山足保、秦不亡於楚、漢。由此観之:沖隆不足為強、高城不足為固。行善則昌、行悪則亡。王者博愛遠施、外内合同、四海各以其職来祭、何撃拓而待?伝曰:『諸侯之有関梁、庶人之有爵禄、非升平之興、蓋自戦国始也。」
書き下し
文學曰く、阻險は義を阻とするに如かず。昔、湯は七十里を以て、天下に政を為し、舒は百里を以て、敵國に亡ぶ。此れ其の惡まるる所以なり。關梁をして恃むに足らしめば、六國は秦に兼ねられず。河・山保つに足らしめば、秦は楚・漢に亡びず。此れに由りて之を觀れば、沖隆も強と為すに足らず、高城も固と為すに足らず。善を行えば則ち昌え、惡を行えば則ち亡ぶ。王者は博く愛し遠く施し、外內合同し、四海各々其の職を以て來り祭る。何ぞ柝を擊ちて待たんや。傳に曰く、「諸侯の關梁有る、庶人の爵祿有るは、升平の興に非ず、蓋し戰國より始まるなり」と。
現代語訳
文学が言った。「険しい地形は、義を険しさとするのに及びません。昔、湯王は七十里の地から天下に政を行い、舒は百里の地を持ちながら敵国に滅ぼされました。それこそが憎まれた理由です。関所と橋が頼むに足るものなら、六国は秦に併呑されなかったはずです。黄河と山が保つに足るものなら、秦は楚と漢に滅ぼされなかったはずです。こう見てくると、衝車や櫓も強さの根拠にはならず、高い城壁も固さの根拠にはなりません。善を行えば栄え、悪を行えば滅ぶ。王者は広く愛して遠くまで施し、内も外も一つに合わさり、四海がそれぞれの務めをもって祭りに来る。どうして拍子木を打って待つ必要がありましょう。伝に『諸侯に関所と橋があり、庶人に爵禄があるのは、太平の世に興ったものではない。おそらく戦国から始まったものだ』とあります」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』離婁上 首章此の章、徒善にても徒法にても用を済まさず、法と善と兼備するに非ざれば不可なることを云ひて、重きを法に帰し、仁心仁聞ありて民其の沢を被らざるを議る。孟子の所謂法は即ち王政なり、仁政なり、五畝の宅・百畝の田・庠序学校の設けの類なり。然れども後世政を執る者深く察せず、却つて此の語に誤らるる者あり。宋の王安石、明の方孝孺の如き皆是れなり。安石・孝孺皆謂へらく、政の要は法の善悪にありと。故に務めて法度を紛更変易せんと欲す。是れ大いに非なり。大凡道に汚隆あり徳に厚薄ありと云へども、創業垂統の主は必ず百世に伝ふるの制度ある者なり。故に守成の臣子たる者は務めて祖宗の法制を講究し、且つ徒法にならざる様にするは徳を修むるにあるのみ。若し己の徳を修むるを知らず、祖宗の法制あるをも知らず、別に先王の法を求め周室の制に倣ふ時は、必ず枘鑿矛盾して大害大変を生ずること必せり。是れ安石・孝孺の誤る所なり。然らば孟子の説は非か。云ふ、否。治を為すは太甚を去るべし。孟子の時諸国の政大いに乱る。故に其の太甚を去りて是れを成周の旧に復せんと欲するなり。且つ孟子の時大いに乱ると雖も、猶周家の余緒を承く。宋明の周制を用ひ旧制を変じ、大いに人情に戾り衆目を駭かす如きに非ざるなり。是れ知らざるべからず。
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『徂徠先生答問書』卷下一官府事務の文字の事御申越候。通典律令の類御覧不被成候へば済不申物に候。異朝の歴代は、代々の制法に替有之候。皆其代其代の開祖の君の料簡にて世界全体の組立に替り有之候故、制法替有之候。是を会得不申候へば其時代の事済不申候故。歴史を見候ても得と済不申物に候。三代の事経書の上は、周礼儀礼々記済不申候へば見え分れ不申候。日本の事跡も、律令延喜式を見不申候へば、公家の代の事は済不申候。右のごとく異国代々の制度の替日本の昔の制度の替を存知候へば、今日当代の上も此処異国と替り、其処昔公家の代と替候と申事明に相知れ申候故、今日の政務の上明に罷成事に候。四書近思録等の理学の書計見候人は、事務の違を不存候故、正真の胡椒丸呑とやらん申物にて候。序に申進候。唐太宗の政務宜敷天下治り候験を斗米三銭と有之候。一斗の米を三文に売申候事に候。近年米価少下直に罷成候へば、武家町人百姓共に困急以の外に候。かやうの違は如何様の儀に候哉。是皆制度の替りより世界の模様にも格別に成行候事に候。官府事務の文字の事被仰下候儀能御心付と存候事に候。
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