塩鉄論 / 險固篇
大夫曰:「古者、為國必察土地、山陵阻險、天時地利、然後可以王霸。故制地城郭、飭溝壘、以禦寇固國。春秋曰:『冬浚洙。』修地利也。三軍順天時、以實擊虛、然困於阻險、敵於金城。楚莊之圍宋、秦師敗崤嵚崟、是也。故曰:『天時不如地利。』羌、胡固、近於邊、今不取、必為四境長患。此季孫之所以憂顓臾、有句賤之變、而為強吳之所悔也。」
新字:大夫曰:「古者、為国必察土地、山陵阻険、天時地利、然後可以王覇。故制地城郭、飭溝塁、以禦寇固国。春秋曰:『冬浚洙。』修地利也。三軍順天時、以実撃虚、然困於阻険、敵於金城。楚荘之囲宋、秦師敗崤嵚崟、是也。故曰:『天時不如地利。』羌、胡固、近於辺、今不取、必為四境長患。此季孫之所以憂顓臾、有句賤之変、而為強呉之所悔也。」
書き下し
大夫曰く、古者、國を為むるには必ず土地・山陵の阻險、天時地利を察す。然る後に以て王霸たる可し。故に地を制して城郭とし、溝壘を飭え、以て寇を禦ぎ國を固くす。春秋に曰く、「冬、洙を浚う」と。地利を修むるなり。三軍は天時に順い、實を以て虛を擊つ。然れども阻險に困しみ、金城に敵す。楚莊の宋を圍み、秦師の崤の嵚崟に敗るる、是れなり。故に曰く、「天の時は地の利に如かず」と。羌・胡は固くして、邊に近し。今取らずんば、必ず四境の長患と為らん。此れ季孫の顓臾を憂うる所以にして、句踐の變有りて強吳の悔ゆる所と為りしなり。
現代語訳
大夫が言った。「古には国を治めるにあたって、必ず土地や山陵の険しさ、天の時と地の利を調べた。そのうえで王者にも覇者にもなれたのだ。だから地形に合わせて城郭を築き、堀と塁を整えて、侵略を防ぎ国を固めた。春秋に『冬、洙水を浚う』とある。地の利を整えたのだ。三軍は天の時に従い、充実した兵で手薄なところを撃つ。それでも険しい地形には苦しみ、堅い城壁には手こずる。楚の荘王が宋を囲んだこと、秦の軍が崤の険しい山で敗れたことが、それだ。だから『天の時は地の利に及ばない』と言う。羌や胡は堅固で、しかも辺境に近い。いま取っておかなければ、必ず四方の境の長い患いとなる。これこそ季孫が顓臾を憂えた理由であり、句践の異変が起きて強い呉が悔やむことになった理由だ」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・地形篇孫子曰く、凡そ地形には通なる者、掛なる者、支なる者、隘なる者、険なる者、遠なる者あり。我も以て往くべく、彼も以て来たるべきを、通と曰う。通形には、先ず高陽に居り、糧道を利にして、以て戦えば則ち利あり。
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『長短経』地形我出でて利あらず、彼出でて利あらざるを、支と曰う〔支は、久しきなり。俱に便ならずして久しく相持するなり〕。支形に曰く、敵我を利すと雖も、我出づること無かれ。引きて去り、敵をして半ば出でしめて之を撃てば、利あり〔利我なり。佯りて我に背きて去り、出づること無く、遂に其の引くを待ちて之を撃てば、敗るべきなり〕。隘形に曰く、我先に之に居らば、必ず之を盈たして敵を待て〔盈は満なり。兵陣を以て阨形の名を満たし、敵をして進退を得ざらしむ〕。若し敵先に之に居らば、盈ちたらば従うこと勿かれ、盈たざれば之に従え〔隘形は、両山の間の通谷なり。敵怒り、勢い我に饒せず。之に居らば、必ず前に阨口に斉えて陣し、之を守るに奇を以てするなり。敵即ち先に此の地に居りて口に斉えて陣せば、従うこと勿かれ。即し半ば隘に陣する者は、従いて敵と共に此の利を与にす〕。
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 先んずれば人の心を奪う冬、十月、華登吳の師を以って華氏を救ふ。齊の烏枝鳴宋を戍る。廚人濮曰く、「軍志に之れ有り、『人に先んずれば人の心を奪ふ有り、人に後るれば其の衰へを待つ有り』と。盍ぞ其の勞して且つ未だ定まらざるに及びて、諸を伐たざる。若し入りて固くせば、則ち華氏衆からん。悔ゆとも及ぶ無からん」と。之に從ふ。丙寅、齊の師・宋の師、吳の師を鴻口に敗り、其の二帥、公子苦雂・偃州員を獲たり。華登、其の餘を帥ゐて以って宋の師を敗る。公出でんと欲す。廚人濮曰く、「吾は小人なり、死を藉(か)す可くして亡を送る能はず。君請ふ之を待て」と。乃ち徇へて曰く、「徽を楊ぐる者は、公の徒なり」と。衆之に從ふ。公楊門より之を見、下りて之を巡りて曰く、「國亡び君死するは、二三子の恥なり。豈に專ら孤の罪ならんや」と。齊の烏枝鳴曰く、「少を用ゐるは齊しく死を致すに如くは莫く、齊しく死を致すは備へを去るに如くは莫し。彼は兵多し。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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『長短経』地形平原相遠く〔遠は、離なり〕、高きを仰ぎ下に臨むは、此れ弓弩の地にして、短兵は十も一に当たらず。両陣相近く、平地浅草にして、前むべく後るべきは、此れ長戟の地にして、剣楯は三も一に当たらず。萑葦竹簫〔簫は、蒿なり〕、草木蒙蘢として林葉茂接するは、此れ矛鋋の地にして、長戟は二も一に当たらず。曲道相伏し、険阨相薄るは、此れ剣楯の地にして、弓弩は三も一に当たらず。故に曰く「地形なる者は、兵の助けなり」と。又た曰く「兵を用うるの道は、地利を宝と為す」と。趙奢は山に趨りて、秦の師所以に覆敗し、韓信は水を背にして、漢の兵由りて其の克勝す。此れ地利を用うるの略なり。

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