塩鉄論 / 和親篇
文學曰:「王者中立而聽乎天下、德施方外、絕國殊俗、臻於闕廷、鳳皇在列樹、麒麟在郊藪、群生庶物、莫不被澤。非足行而仁辦之也、推其仁恩而王之、誠也。范蠡出於越、由余長於胡、皆為霸王賢佐。故政有不從之教、而世無不可化之民。《詩》云:『酌彼行潦、挹彼註茲。』故公劉處戎、狄、戎、狄化之。太王去豳、豳民隨之。周公修德、而越裳氏來。其從善如影響。為政務以德親近、何憂於彼之不改?」
新字:文学曰:「王者中立而聴乎天下、徳施方外、絶国殊俗、臻於闕廷、鳳皇在列樹、麒麟在郊藪、群生庶物、莫不被沢。非足行而仁辦之也、推其仁恩而王之、誠也。范蠡出於越、由余長於胡、皆為覇王賢佐。故政有不従之教、而世無不可化之民。《詩》云:『酌彼行潦、挹彼註茲。』故公劉処戎、狄、戎、狄化之。太王去豳、豳民随之。周公修徳、而越裳氏来。其従善如影響。為政務以徳親近、何憂於彼之不改?」
書き下し
文學曰く、王者は中立して天下に聽く。德は方外に施され、絕國殊俗も、闕廷に臻る。鳳皇は列樹に在り、麒麟は郊藪に在り。群生庶物、澤を被らざるは莫し。足行して仁之を辦ずるに非ざるなり。其の仁恩を推して之に王たるは、誠なればなり。范蠡は越より出で、由余は胡に長ず。皆な霸王の賢佐と為る。故に政に從わざるの教え有るも、世に化す可からざるの民無し。《詩》に云う、「彼の行潦を酌み、彼を挹みて茲に註ぐ」と。故に公劉は戎・狄に處るも、戎・狄之に化す。太王豳を去るも、豳民之に隨う。周公德を修めて、越裳氏來る。其の善に從うこと影響の如し。政を為すに務めて德を以て近づき親しまば、彼の改めざるを何ぞ憂えん。
現代語訳
文学が言った。「王者は中に立って天下の声を聴きます。徳は国外にまで及び、遠く隔たった国、異なる風俗の民も、宮廷にやって来る。鳳凰は並木にとまり、麒麟は郊外の藪にいて、生きとし生けるものでその恵みをこうむらないものはない。自分の足で歩いて回って仁を行き渡らせるのではありません。その仁と恩を推し及ぼして王となるのは、まことがあるからです。范蠡は越から出て、由余は胡で育ちました。どちらも覇者の賢い補佐となっています。だから政治に従わない教えというものはあっても、世の中に教化できない民というものはありません。詩に『あの流れの水を汲み、それを移してここに注ぐ』とあります。だから公劉が戎狄の中に住めば戎狄が感化され、太王が豳を去れば豳の民が付き従い、周公が徳を修めれば越裳氏が来たのです。善に従うさまは影や響きのようです。政治を行うにあたって徳をもって近づき親しむよう努めるなら、相手が改めないことなど、何を憂えましょう」
解説
この章句が説くこと
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説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
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説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
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孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
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孔子家語・辯物呉王夫差、将に哀公と与に晋侯に見えんとす。子服景伯、使者に対えて曰わく、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を率いて以て王に見う。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を率いて以て伯に見う。今諸侯会するに、君と寡君と晋君に見えば、則ち晋成りて伯と為らん。且つ執事伯を以て諸侯を召し、而して侯を以て之れを終うれば、何の利か之れ有らん。」呉人乃ち止む。既にして之れを悔い、遂に景伯を囚う。伯、大宰嚭に謂いて曰わく、「魯将に十月上辛を以て、上帝に事有らんとす、先王季辛にして畢わる。何ぞや、世に職有り、襄より已来之れを改む。若し其れ会せずんば、則ち祝宗将に曰わん、呉実に然りと。」嚭夫差に言い、之れを帰す。子貢之れを聞き、孔子に見えて曰わく、「子服氏の子、説くに拙し。実を以て囚を獲、詐を以て免るるを得たり。」孔子曰わく、「呉子は夷為り、徳は欺く可くして実を以てす可からず。是れ聴く者の蔽いにして、説く者の拙きに非ざるなり。」
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