塩鉄論 / 和親篇
文學曰:「往者、通關梁、交有無、自單于以下、皆親漢內附、往來長城之下。其後、王恢誤謀馬邑、匈奴絕和親、攻當路塞、禍紛拏而不解、兵連而不息、邊民不解甲弛弩、行數十年、介胄而耕耘、鉏耰而候望、燧燔烽舉、丁壯弧弦而出鬥、老者超越而入葆。言之足以流涕寒心、則仁者不忍也。《詩》云:『投我以桃、報之以李。』未聞善往而有惡來者。故君子敬而無失、與人恭而有禮、四海之內、皆為兄弟也。故內省不疚、夫何憂何懼!」
新字:文学曰:「往者、通関梁、交有無、自単于以下、皆親漢内附、往来長城之下。其後、王恢誤謀馬邑、匈奴絶和親、攻当路塞、禍紛拏而不解、兵連而不息、辺民不解甲弛弩、行数十年、介胄而耕耘、鉏耰而候望、燧燔烽舉、丁壮弧弦而出鬥、老者超越而入葆。言之足以流涕寒心、則仁者不忍也。《詩》云:『投我以桃、報之以李。』未聞善往而有悪来者。故君子敬而無失、与人恭而有礼、四海之内、皆為兄弟也。故内省不疚、夫何憂何懼!」
書き下し
文學曰く、往者、關梁を通じ、有無を交え、單于以下、皆な漢に親しみて內附し、長城の下に往來す。其の後、王恢誤りて馬邑に謀る。匈奴和親を絕ち、當路の塞を攻む。禍い紛拏として解けず、兵連なりて息まず。邊民は甲を解き弩を弛めず、行くこと數十年。介胄して耕耘し、鉏耰して候望す。燧燔え烽舉がれば、丁壯は弧弦して出でて鬥い、老者は超越して葆に入る。之を言えば以て涕を流し心を寒からしむるに足る。則ち仁者は忍びざるなり。《詩》に云う、「我に投ずるに桃を以てすれば、之に報ゆるに李を以てす」と。未だ善く往きて惡しく來る者有るを聞かず。故に君子は敬して失う無く、人と與に恭にして禮有り。四海の內、皆な兄弟為り。故に內に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。
現代語訳
文学が言った。「かつては関所と橋を通わせ、有る物と無い物を交換し、単于から下の者まで皆が漢に親しんで内側につき、長城の下を行き来していました。その後、王恢が誤って馬邑で謀りごとを企てた。匈奴は和親を絶ち、要路の砦を攻めた。禍いはもつれて解けず、戦は連なってやまない。辺境の民は鎧を解かず弩をゆるめないまま、数十年が過ぎました。兜と鎧をつけて耕し、鍬を持ちながら見張る。のろしが燃え上がれば、壮年の者は弓に矢をつがえて出て戦い、老人は走り越えて砦に入る。これを語れば涙が流れ心が寒くなるほどで、仁ある者には忍びません。詩に『私に桃を投げてくれれば、李で報いる』とあります。善いものを送って悪いものが返ってきた例を、私は聞いたことがありません。だから君子は慎んで失うところなく、人に対して恭しく礼がある。四海の内は、みな兄弟なのです。だから内を省みて疚しくなければ、いったい何を憂え何を恐れましょうか」
解説
この章句が説くこと
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礼記・曲礼上大上(たいじょう)は徳を貴び、其の次は施報に務む。礼は往来を尚(たっと)ぶ。往きて来たらざるは、礼に非ざるなり。来たりて往かざるも、亦た礼に非ざるなり。人、礼有れば則ち安く、礼無ければ則ち危うし。故に曰く、「礼は学ばざるべからず」と。夫れ礼は、自ら卑(ひく)くして人を尊ぶ。負販(ふはん)の者と雖も、必ず尊ぶこと有り、而るを況(いわ)んや富貴をや。富貴にして礼を好むを知れば、則ち驕らず淫せず。貧賤にして礼を好むを知れば、則ち志懾(おそ)れず。
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