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塩鉄論 / 西域篇

大夫曰:「往者、匈奴據河、山之險、擅田牧之利、民富兵強、行入為寇、則句註之內驚動、而上郡以南咸城。文帝時、虜入蕭關、烽火通甘泉、群臣懼不知所出、乃請屯京師以備胡。胡西役大宛、康居之屬、南與群羌通。先帝推讓斥奪廣饒之地、建張掖以西、隔絕羌、胡、瓜分其援。是以西域之國、皆內拒匈奴、斷其右臂、曳劍而走、故募人田畜以廣用、長城以南、濱塞之郡、馬牛放縱、蓄積布野、未睹其計之所過。夫以弱越而遂意強吳、才地計眾非鈞也、主思臣謀、其往必矣。」

新字:大夫曰:「往者、匈奴拠河、山之険、擅田牧之利、民富兵強、行入為寇、則句註之内驚動、而上郡以南咸城。文帝時、虜入蕭関、烽火通甘泉、群臣懼不知所出、乃請屯京師以備胡。胡西役大宛、康居之属、南与群羌通。先帝推譲斥奪広饒之地、建張掖以西、隔絶羌、胡、瓜分其援。是以西域之国、皆内拒匈奴、断其右臂、曳剣而走、故募人田畜以広用、長城以南、浜塞之郡、馬牛放縦、蓄積布野、未睹其計之所過。夫以弱越而遂意強吳、才地計眾非鈞也、主思臣謀、其往必矣。」

書き下し

大夫曰く、往者、匈奴は河・山の險に據り、田牧の利を擅にし、民富み兵強く、行りて入りて寇を為す。則ち句註の內驚動し、而して上郡以南咸な城す。文帝の時、虜蕭關に入り、烽火甘泉に通ず。群臣懼れて出づる所を知らず、乃ち京師に屯して以て胡に備えんことを請う。胡は西のかた大宛・康居の屬を役し、南のかた群羌と通ず。先帝推し進みて廣饒の地を斥奪し、張掖以西を建て、羌・胡を隔絕し、其の援を瓜分す。是を以て西域の國、皆な內に匈奴を拒み、其の右臂を斷つ。劍を曳きて走る。故に人を募りて田畜し以て用を廣む。長城以南、塞に濱する郡、馬牛放縱し、蓄積野に布く。未だ其の計の過つ所を睹ず。夫れ弱越を以て強吳に意を遂ぐ。才地計眾は鈞しきに非ざるなり。主思い臣謀らば、其の往くこと必せり。

現代語訳

大夫が言った。「かつて匈奴は黄河と山の険しさに拠り、田や牧の利を独り占めにして、民は富み兵は強く、押し出してきては侵略した。すると句注の内側までが騒ぎ立ち、上郡から南はどこも城に籠もった。文帝の時には敵が蕭関に入り込み、のろしが甘泉宮まで通じた。群臣は恐れてどうしてよいかわからず、都に軍を駐屯させて胡に備えることを請うたのだ。胡は西では大宛や康居の類を従え、南では羌の諸族と通じていた。先帝は押し進んで広く豊かな地を奪い、張掖から西を建て、羌と胡を切り離し、その後ろ盾を分断された。そのため西域の国々はみな内側で匈奴を拒み、その右腕を断ったのだ。匈奴は剣を引きずって逃げた。そこで人を募って耕作と牧畜をさせ、財用を広げた。長城から南、塞に近い郡では、馬や牛が放し飼いにされ、蓄えが野に広がっている。その計のどこが誤りだったのか、私にはまだ見えない。そもそも弱い越が強い呉に思いを遂げたではないか。土地の広さも人数も釣り合ってはいなかった。主君が思い臣が謀れば、成し遂げられるのは必定だ」

解説

文学が「十余年、疲弊しか見えない」と大夫個人を採点したのに対し、大夫が自分の帳簿を出し返した段です。文帝のころはのろしが甘泉宮まで届き、都に兵を置いて備えるほどだった。いまは長城の南で馬や牛が放し飼いにされ、蓄えが野に広がっている、と。西域を押さえて匈奴の右腕を断った効果を並べます。締めは越と呉でした。**土地の広さも人数も釣り合ってはいなかったが、弱い越は強い呉に思いを遂げた。**規模で決まるのではない、という返しです。

この章句が説くこと

西域の国皆な内に匈奴を拒み其の右臂を断つ才地計眾は鈞しきに非ざるなり長城以南馬牛放縦し蓄積野に布く成果比較防衛

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