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塩鉄論 / 伐功篇

大夫曰:「齊桓公越燕伐山戎、破孤竹、殘令支。趙武靈王踰句註、過代谷、略滅林胡、樓煩。燕襲走東胡、辟地千里、度遼東而攻朝鮮。蒙公為秦擊走匈奴、若鷙鳥之追群雀。匈奴勢懾、不敢南面而望十餘年。及其後、蒙公死而諸侯叛秦、中國擾亂、匈奴紛紛、乃敢復為邊寇。夫以小國燕、趙、尚猶卻寇虜以廣地、今以漢國之大、士民之力、非特齊桓之眾、燕、趙之師也、然匈奴久未服者、群臣不幷力、上下未諧故也。」

新字:大夫曰:「斉桓公越燕伐山戎、破孤竹、残令支。趙武霊王踰句註、過代谷、略滅林胡、楼煩。燕襲走東胡、辟地千里、度遼東而攻朝鮮。蒙公為秦擊走匈奴、若鷙鳥之追群雀。匈奴勢懾、不敢南面而望十余年。及其後、蒙公死而諸侯叛秦、中国擾乱、匈奴紛紛、乃敢復為辺寇。夫以小国燕、趙、尚猶却寇虜以広地、今以漢国之大、士民之力、非特斉桓之眾、燕、趙之師也、然匈奴久未服者、群臣不幷力、上下未諧故也。」

書き下し

大夫曰く、齊の桓公は燕を越えて山戎を伐ち、孤竹を破り、令支を殘う。趙の武靈王は句註を踰え、代谷を過ぎ、林胡・樓煩を略滅す。燕は東胡を襲いて走らせ、地を辟くこと千里、遼東を度りて朝鮮を攻む。蒙公は秦の為に匈奴を擊ち走らすこと、鷙鳥の群雀を追うが若し。匈奴は勢い懾れ、敢えて南面して望まざること十餘年。其の後に及び、蒙公死して諸侯秦に叛き、中國擾亂して、匈奴紛紛たり。乃ち敢えて復た邊寇を為す。夫れ小國の燕・趙を以てすら、尚お猶お寇虜を卻けて以て地を廣む。今、漢國の大、士民の力を以てすれば、特に齊桓の眾、燕・趙の師のみに非ざるなり。然れども匈奴の久しく未だ服せざる者は、群臣力を幷せず、上下未だ諧わざるが故なり。

現代語訳

大夫が言った。「斉の桓公は燕を越えて山戎を伐ち、孤竹を破り、令支を打ち砕いた。趙の武霊王は句注を越え、代谷を過ぎ、林胡と楼煩を攻め滅ぼした。燕は東胡を襲って追い払い、千里の地を開き、遼東を渡って朝鮮を攻めた。蒙恬は秦のために匈奴を撃退したが、それは猛禽が雀の群れを追うようであった。匈奴は勢いに恐れ、十余年も南を向いて望むことすらできなかった。その後、蒙恬が死んで諸侯が秦に叛き、中国が乱れると、匈奴は入り乱れ、ふたたび辺境を侵すようになった。小国である燕や趙でさえ、侵略者を退けて土地を広げたのだ。いま漢という大国と、士民の力をもってすれば、斉の桓公の軍勢や燕・趙の師どころではない。それなのに匈奴が長く従わないのは、群臣が力を合わせず、上と下の調子が合っていないからだ」

解説

文学が「これは社稷にとって最善の計ではない」と断じたのを受け、大夫が、では小国にできたことがなぜできないのかと返した段です。斉の桓公、趙の武霊王、燕、蒙恬と、匈奴を退けた先例を並べます。猛禽が雀の群れを追うようだった、と。そのうえで比較を置きました。小国の燕や趙でさえできたことが、漢の大きさでできないのはなぜか。答えは外にではなく内に置かれます。**群臣が力を合わせず、上と下の調子が合っていないからだ。**議論そのものを不服従の原因として名指しした一句です。

この章句が説くこと

群臣力を幷せず上下未だ諧わざるが故なり小国の燕・趙を以てすら寇虜を却けて地を広む鷙鳥の群雀を追うが若し足並み内部責任

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