塩鉄論 / 誅秦篇
大夫曰:「中國與邊境、猶支體與腹心也。夫肌膚寒於外、腹心疾於內、內外之相勞、非相為賜也!唇亡則齒寒、支體傷而心憯怛。故無手足則支體廢、無邊境則內國害。昔者、戎狄攻太王於邠、踰岐、梁而與秦界於涇、渭、東至晉之陸渾、侵暴中國、中國疾之。今匈奴蠶食內侵、遠者不離其苦、獨邊境蒙其敗。《詩》云:『憂心慘慘、念國之為虐。』不征備、則暴害不息。故先帝興義兵以征厥罪、遂破祁連、天山、散其聚黨、北略至龍城、大圍匈奴、單于失魂、僅以身免、乘奔逐北、斬首捕虜十餘萬。控弦之民、旃裘之長、莫不沮膽、挫折遠遁、遂乃振旅。渾耶率其眾以降、置五屬國以距胡、則長城之內、河、山之外、罕被寇。於是下詔令、減戍漕、寬徭役。初雖勞苦、卒獲其慶。」
新字:大夫曰:「中国与辺境、猶支体与腹心也。夫肌膚寒於外、腹心疾於内、内外之相労、非相為賜也!唇亡則齒寒、支体傷而心憯怛。故無手足則支体廃、無辺境則内国害。昔者、戎狄攻太王於邠、踰岐、梁而与秦界於涇、渭、東至晉之陸渾、侵暴中国、中国疾之。今匈奴蠶食内侵、遠者不離其苦、独辺境蒙其敗。《詩》云:『憂心惨惨、念国之為虐。』不征備、則暴害不息。故先帝興義兵以征厥罪、遂破祁連、天山、散其聚党、北略至竜城、大囲匈奴、単于失魂、僅以身免、乗奔逐北、斬首捕虜十余万。控弦之民、旃裘之長、莫不沮胆、挫折遠遁、遂乃振旅。渾耶率其眾以降、置五属国以距胡、則長城之内、河、山之外、罕被寇。於是下詔令、減戍漕、寛徭役。初雖労苦、卒獲其慶。」
書き下し
大夫曰く、中國と邊境とは、猶お支體と腹心のごときなり。夫れ肌膚外に寒く、腹心內に疾む。內外の相勞するは、相為に賜うに非ざるなり。唇亡ぶれば則ち齒寒く、支體傷つきて心憯怛す。故に手足無ければ則ち支體廢し、邊境無ければ則ち內國害せらる。昔者、戎狄太王を邠に攻め、岐・梁を踰えて秦と涇・渭に界し、東は晉の陸渾に至り、中國を侵暴す。中國之を疾む。今、匈奴蠶食して內に侵し、遠き者は其の苦を離れ、獨り邊境のみ其の敗を蒙る。《詩》に云う、「憂心慘慘たり、國の虐を為すを念う」と。征備せずんば、則ち暴害息まず。故に先帝義兵を興して以て厥の罪を征し、遂に祁連・天山を破り、其の聚黨を散じ、北のかた略して龍城に至り、大いに匈奴を圍む。單于は魂を失い、僅かに身を以て免る。奔るに乘じて北を逐い、斬首捕虜十餘萬。控弦の民、旃裘の長、膽を沮まざるは莫く、挫折して遠く遁る。遂に乃ち旅を振う。渾耶は其の眾を率いて以て降り、五屬國を置きて以て胡を距ぐ。則ち長城の內、河・山の外、寇を被ること罕なり。是に於て詔令を下し、戍漕を減じ、徭役を寬くす。初め勞苦すと雖も、卒に其の慶を獲たり。
現代語訳
大夫が言った。「中国と辺境は、手足と腹心のようなものだ。肌が外で寒ければ、腹心は内で病む。内と外が互いに労するのは、恩を施し合っているのではない。唇が失われれば歯が寒く、手足が傷つけば心が痛む。手足が無ければ体は用をなさず、辺境が無ければ内地が害を受けるのだ。昔、戎狄は太王を邠に攻め、岐山や梁山を越えて秦と涇水・渭水で境を接し、東は晋の陸渾にまで至って中国を侵し荒らした。中国はこれを憎んだ。いま匈奴は蚕が食うように内へ侵しているが、遠い土地の者はその苦しみを免れ、辺境だけがその損害をこうむっている。詩に『憂える心は痛ましい、国が虐げられるのを思う』とある。討ち備えなければ、暴害はやまない。だから先帝は義兵を起こしてその罪を討ち、祁連・天山を破り、その集団を散らし、北へ攻めて龍城に至り、匈奴を大きく囲まれた。単于は魂を失い、かろうじて身一つで逃れた。敗走に乗じて追撃し、斬首と捕虜は十余万。弓を引く民も毛皮の長も、肝を潰さない者はなく、くじけて遠くへ逃げた。こうして軍を凱旋させたのだ。渾邪王はその一族を率いて降り、五つの属国を置いて胡を防いだ。おかげで長城の内、黄河と山の外では、侵略を受けることがまれになった。そこで詔を下し、守備と輸送を減らし、賦役をゆるめたのだ。初めは苦労であっても、最後にはその慶びを得たのである」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『塩鉄論』西域篇大夫曰く、往者、匈奴は河・山の險に據り、田牧の利を擅にし、民富み兵強く、行りて入りて寇を為す。則ち句註の內驚動し、而して上郡以南咸な城す。文帝の時、虜蕭關に入り、烽火甘泉に通ず。群臣懼れて出づる所を知らず、乃ち京師に屯して以て胡に備えんことを請う。胡は西のかた大宛・康居の屬を役し、南のかた群羌と通ず。先帝推し進みて廣饒の地を斥奪し、張掖以西を建て、羌・胡を隔絕し、其の援を瓜分す。是を以て西域の國、皆な內に匈奴を拒み、其の右臂を斷つ。劍を曳きて走る。故に人を募りて田畜し以て用を廣む。長城以南、塞に濱する郡、馬牛放縱し、蓄積野に布く。未だ其の計の過つ所を睹ず。夫れ弱越を以て強吳に意を遂ぐ。才地計眾は鈞しきに非ざるなり。主思い臣謀らば、其の往くこと必せり。
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『塩鉄論』繇役篇大夫曰く、詩に云う、「獫狁孔だ熾んなり、我れ是を用て戒む」と。「武夫潢潢たり、四方を經營す」と。故に守禦征伐、由りて來る所久しきなり。春秋は、戎未だ至らずして豫め之を禦ぐを大とす。故に四支強くして躬體固く、華葉茂りて本根據る。故に四境を飭るは中國を安んずる所以なり。戍漕を發するは勞佚を審らかにする所以なり。主憂うれば臣勞し、上危うければ下死す。先帝は百姓の贍らざるを憂え、禁錢を出し、乘輿の驂を解き、樂を貶し膳を損じ、以て窮を賑わし邊費に備う。未だ報施の義を見ずして、成るを沮むの理を見る。聞く所に非ざるなり。
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『塩鉄論』本議篇大夫曰く、匈奴背叛して臣とせず、數ば邊鄙に寇暴を爲す。之に備うれば則ち中國の士を勞し、備えざれば則ち侵盜止まず。先帝は邊人の久しく患い、虜の系獲する所と爲るに苦しむを哀れむ。故に障塞を修め、烽燧を飭え、屯戍して以て之に備う。邊の用度足らず、故に鹽・鐵を興し、酒榷を設け、均輸を置き、貨を蕃し財を長じ、以て邊費を佐助す。今議者之を罷めんと欲す。内は府庫の藏を空しくし、外は執備の用を乏しくし、塞に備え城に乘るの士をして邊に饑寒せしめば、將た何を以て之に贍らん。之を罷むるは、便ならざるなり、と。
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『塩鉄論』地廣篇大夫曰く、王者は包含幷覆し、普く愛して私無し、近きが為に施しを重くせず、遠きが為に恩を遺さず。今俱に是れ民なり、俱に是れ臣なり、安危勞佚齊しからず、獨り調うるに當たらざらんや。彼を念わずして獨り此を計るは、斯れ亦た議を好むか。緣邊の民は、寒苦の地に處り、強胡の難を距ぐ、烽燧一たび動けば、身を沒するの累有り。故に邊民百戰して、中國恬臥するは、邊郡を以て蔽扞と為せばなり。詩に云う、『王事に非ざる莫きに、而して我獨り勞す』と。均しからざるを刺るなり。是を以て聖王は四方の獨り苦しむを懷い、師を興して胡・越を推し卻け、寇を遠ざけ災を安んじ、中國肥饒の余を散じて、以て邊境を調う、邊境強ければ、則ち中國安く、中國安ければ則ち晏然として事無し。何を求めて默せざるや。
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『塩鉄論』擊之篇賢良・文學既に拜し、咸な列大夫に取られ、丞相・御史に辭す。/大夫曰く、前に公事を議するに、賢良・文學は往古を稱引して、頗る世務に乖けり。論ずる者は必ずしも相い反せず、行うべきに期す。往者、縣官の未だ胡・越に事えざるの時、邊城は四面に敵を受け、北邊は尤も其の苦を被れり。先帝は三方の難を絕ち、方國を撫從して、以て蕃蔽と為し、郡國を窮極して、以て匈奴を討てり。匈奴は壤界獸圈にして、孤弱にして與する無し、此れ困亡の時なり。遼遠にして遂げず、復た喘息するを得しめ、士馬を休養し、西域を負紿せしむ。西域は胡寇に迫近す、沮心內に解くれば、必ず巨患と為らん。是を以て主上は掃除せんと欲す、倉廩の費を煩わすなり。終日禽を逐い、罷れて之を釋つは、則ち計に非ざるなり。蓋し舜は緒を紹ぎ、禹は功を成せり。今、軍興を以て之を擊たんと欲す、何如。
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『塩鉄論』備胡篇大夫曰く、往者、四夷俱に強く、並びに寇虐を為せり。朝鮮は僥を踰えて、燕の東地を劫かし、東越は東海を越えて、浙江の南を略し、南越は內に侵して、服令を滑し、氐・僰・冉・駹・巂唐・昆明の屬は、隴西・巴・蜀を擾せり。今、三垂已に平らぎ、唯だ北邊のみ未だ定まらず。夫れ一たび舉ぐれば則ち匈奴は震懼し、中外備を釋かん、而るに何ぞ寡なからんや。