塩鉄論 / 備胡篇
大夫曰:「往者、四夷俱強、並為寇虐:朝鮮踰僥、劫燕之東地、東越越東海、略浙江之南、南越內侵、滑服令、氐、僰、冉、駹、巂唐、昆明之屬、擾隴西、巴、蜀。今三垂已平、唯北邊未定。夫一舉則匈奴震懼、中外釋備、而何寡也?」
新字:大夫曰:「往者、四夷倶強、並為寇虐:朝鮮踰僥、劫燕之東地、東越越東海、略浙江之南、南越内侵、滑服令、氐、僰、冉、駹、巂唐、昆明之属、擾隴西、巴、蜀。今三垂已平、唯北辺未定。夫一舉則匈奴震懼、中外釈備、而何寡也?」
書き下し
大夫曰く、往者、四夷俱に強く、並びに寇虐を為せり。朝鮮は僥を踰えて、燕の東地を劫かし、東越は東海を越えて、浙江の南を略し、南越は內に侵して、服令を滑し、氐・僰・冉・駹・巂唐・昆明の屬は、隴西・巴・蜀を擾せり。今、三垂已に平らぎ、唯だ北邊のみ未だ定まらず。夫れ一たび舉ぐれば則ち匈奴は震懼し、中外備を釋かん、而るに何ぞ寡なからんや。
現代語訳
大夫が言った。「かつては四方の異民族がそろって強く、そろって侵略と暴虐をはたらいた。朝鮮は境界を越えて燕の東の地を脅かし、東越は東海を渡って浙江の南を掠め、南越は内に侵入して服属の命令を乱した。氐・僰・冉・駹・巂唐・昆明の諸族は隴西や巴・蜀を騒がせた。いまや三方はすでに平定され、残るは北の辺境だけが定まっていない。ひとたび兵を挙げれば匈奴は震え上がり、内外ともに備えを解くことができる。それのどこが、備えが多すぎるというのか」
解説
「徳が盛んなら備えは少なくて済む」への反論を、実績で行った段です。四方の異民族の名を列挙し、そのうち三方はすでに平定したと数え上げます。残るは北だけだ。ひとたび兵を挙げれば、内外ともに備えを解ける。あと一押しで終わる、という論法で、これも古今を通じてよく聞く形です。徳の話に対して、地図と戦績を出す。大夫の反論はいつも具体の側から来ます。
この章句が説くこと
今三垂已に平らぎ唯だ北辺のみ未だ定まらず一たび舉ぐれば則ち匈奴は震懼し中外備を釈かん四夷倶に強く並びに寇虐を為せり遠征見通し実績
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人生を、一行の式にしてみた。
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