塩鉄論 / 擊之篇
賢良、文學既拜、咸取列大夫、辭丞相、御史。大夫曰:「前議公事、賢良、文學稱引往古、頗乖世務。論者不必相反、期於可行。往者、縣官未事胡、越之時、邊城四面受敵、北邊尤被其苦。先帝絕三方之難、撫從方國、以為蕃蔽、窮極郡國、以討匈奴。匈奴壤界獸圈、孤弱無與、此困亡之時也。遼遠不遂、使得復喘息、休養士馬、負紿西域。西域迫近胡寇、沮心內解、必為巨患。是以主上欲掃除、煩倉廩之費也。終日逐禽、罷而釋之、則非計也。蓋舜紹緒、禹成功。今欲以軍興擊之、何如?」
新字:賢良、文学既拝、咸取列大夫、辞丞相、御史。大夫曰:「前議公事、賢良、文学称引往古、頗乖世務。論者不必相反、期於可行。往者、県官未事胡、越之時、辺城四面受敵、北辺尤被其苦。先帝絶三方之難、撫従方国、以為蕃蔽、窮極郡国、以討匈奴。匈奴壤界獣圏、孤弱無与、此困亡之時也。遼遠不遂、使得復喘息、休養士馬、負紿西域。西域迫近胡寇、沮心内解、必為巨患。是以主上欲掃除、煩倉廩之費也。終日逐禽、罷而釈之、則非計也。蓋舜紹緒、禹成功。今欲以軍興撃之、何如?」
書き下し
賢良・文學既に拜し、咸な列大夫に取られ、丞相・御史に辭す。/大夫曰く、前に公事を議するに、賢良・文學は往古を稱引して、頗る世務に乖けり。論ずる者は必ずしも相い反せず、行うべきに期す。往者、縣官の未だ胡・越に事えざるの時、邊城は四面に敵を受け、北邊は尤も其の苦を被れり。先帝は三方の難を絕ち、方國を撫從して、以て蕃蔽と為し、郡國を窮極して、以て匈奴を討てり。匈奴は壤界獸圈にして、孤弱にして與する無し、此れ困亡の時なり。遼遠にして遂げず、復た喘息するを得しめ、士馬を休養し、西域を負紿せしむ。西域は胡寇に迫近す、沮心內に解くれば、必ず巨患と為らん。是を以て主上は掃除せんと欲す、倉廩の費を煩わすなり。終日禽を逐い、罷れて之を釋つは、則ち計に非ざるなり。蓋し舜は緒を紹ぎ、禹は功を成せり。今、軍興を以て之を擊たんと欲す、何如。
現代語訳
賢良と文学はすでに拝礼を終え、みな列大夫の位に取り立てられて、丞相と御史大夫に暇乞いをした。/大夫が言った。「先に公の事を議したとき、賢良と文学は古いことばかりを引いて、世の実務からかなり離れていた。議論する者は必ずしも対立する必要はなく、実行できるところを目指すべきだ。かつて官がまだ匈奴や越に手を出していなかったころ、辺境の城は四方から敵を受け、北の辺境がとりわけその苦しみを被っていた。先帝は三方の難を断ち切り、周辺の国々を手なずけて垣根とし、郡国の力を出し切って匈奴を討った。匈奴は境の地に追い詰められ、獣が檻に入ったようになり、孤立して味方もない。これこそ困窮し滅びる時だ。ところが遠すぎて成し遂げられず、また息をつかせてしまい、兵と馬を休ませ、西域を裏切らせることになった。西域は匈奴の脅威に間近で接している。気持ちが内から崩れれば、必ず大きな災いとなる。だから主上は一掃したいと望んでおられる。倉の蓄えを費やすことになるとしてもだ。一日じゅう獲物を追って、疲れたところで放してしまうのは、はかりごとではない。思えば、舜が事業を継ぎ、禹が功を成し遂げた。いま軍を興して匈奴を撃とうと思うが、どうか」
解説
この章句が説くこと
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人生を、一行の式にしてみた。
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