塩鉄論 / 結和篇
大夫曰:「漢興以來、修好結和親、所聘遺單于者甚厚、然不紀重質厚賂之故改節、而暴害滋甚。先帝睹其可以武折、而不可以德懷、故廣將帥、招奮擊、以誅厥罪、功勛粲然、著於海內、藏於記府、何命『亡十獲一』乎?夫偷安者後危、慮近者憂邇、賢者離俗、智士權行、君子所慮、眾庶疑焉。故民可與觀成、不可與圖始。此有司所獨見、而文學所不睹。」
新字:大夫曰:「漢興以来、修好結和親、所聘遺単于者甚厚、然不紀重質厚賂之故改節、而暴害滋甚。先帝睹其可以武折、而不可以徳懐、故広将帥、招奮撃、以誅厥罪、功勛粲然、著於海内、蔵於記府、何命『亡十獲一』乎?夫偸安者後危、慮近者憂邇、賢者離俗、智士権行、君子所慮、衆庶疑焉。故民可与観成、不可与図始。此有司所独見、而文学所不睹。」
書き下し
大夫曰く、漢興りて以來、好を修め和親を結び、單于に聘遺する所の者甚だ厚し。然れども重質厚賂の故を紀りて節を改めず、而して暴害滋々甚だし。先帝は其の武を以て折る可くして、德を以て懷く可からざるを睹る。故に將帥を廣め、奮擊を招き、以て厥の罪を誅す。功勛粲然として、海內に著れ、記府に藏む。何ぞ『十を亡いて一を獲』と命わんや。夫れ偷安する者は後に危うく、近きを慮る者は邇きを憂う。賢者は俗を離れ、智士は權りて行う。君子の慮る所、眾庶は焉を疑う。故に民は與に成るを觀る可きも、與に始めを圖る可からず。此れ有司の獨り見る所にして、文學の睹ざる所なり。
現代語訳
大夫が言った。「漢が興ってからこのかた、よしみを修め和親を結び、単于へ贈った品はきわめて手厚かった。それでも彼らは重い人質と厚い賄賂を恩に着て節を改めることはなく、暴虐な害はますますひどくなった。先帝は、匈奴は武で折ることはできても徳で懐かせることはできないと見抜かれた。だから将帥を増やし、決死の攻め手を募り、その罪を討たれたのだ。その功績はあざやかに海内に知れわたり、記録府に納められている。それをどうして『十を失って一を得ただけ』などと言えようか。そもそも安楽をむさぼる者は後で危うくなり、近くばかり考える者は目先を憂える。賢者は俗を離れ、智者ははかりごとをもって動く。君子の考えることを、大衆は疑うものだ。だから民とは成果を共に見ることはできても、始まりを共に図ることはできない。これは役人だけに見えていて、文学には見えていないことだ」
解説
この章句が説くこと
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