塩鉄論 / 能言篇
大夫曰:「盲者口能言白黑、而無目以別之。儒者口能言治亂、而無能以行之。夫坐言不行、則牧童兼烏獲之力、蓬頭苞堯、舜之德。故使言而近、則儒者何患於治亂、而盲人何患於白黑哉?言之不出、恥躬之不逮。故卑而言高、能言而不能行者、君子恥之矣。」
新字:大夫曰:「盲者口能言白黒、而無目以別之。儒者口能言治乱、而無能以行之。夫坐言不行、則牧童兼烏獲之力、蓬頭苞堯、舜之徳。故使言而近、則儒者何患於治乱、而盲人何患於白黒哉?言之不出、恥躬之不逮。故卑而言高、能言而不能行者、君子恥之矣。」
書き下し
大夫曰く、盲者は口に能く白黑を言うも、目の以て之を別つ無し。儒者は口に能く治亂を言うも、能く以て之を行う無し。夫れ坐して言いて行わざれば、則ち牧童も烏獲の力を兼ね、蓬頭も堯・舜の德を苞まん。故に言をして近からしめば、則ち儒者何ぞ治亂を患えん、而して盲人何ぞ白黑を患えんや。言の出ださざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。故に卑くして高きを言い、能く言いて能く行わざる者は、君子之を恥ず。
現代語訳
大夫が言った。「盲人は口では白と黒を語れるが、それを見分ける目がない。儒者は口では治乱を語れるが、それを実行する力がない。座って語るだけで行わないのなら、牧童でも烏獲ほどの怪力を兼ね備え、ぼさぼさ頭の者でも堯・舜の徳を包み込めることになる。言葉だけで済むのなら、儒者は治乱に何を悩む必要があり、盲人は白黒に何を悩む必要があろうか。言葉を軽々しく口に出さないのは、自分の行いが追いつかないことを恥じるからだ。だから低い場所にいながら高いことを語り、語れても行えない者を、君子は恥じるのだ」
解説
賢良が実務の手順を並べた直後に、その語り手のほうを突いた段です。篇名の「能言」——よく語る、はそのまま皮肉になっています。**盲人は白と黒を語れるが、見分ける目がない。**語れることと行えることは別だ、と。座って語るだけでよいなら、牧童でも怪力の持ち主になれる、と極端へ振ってみせます。論語の「言を出ださざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり」を引いて締めました。
この章句が説くこと
盲者は口に能く白黒を言うも目の以て之を別つ無し能く言いて能く行わざる者は君子之を恥ず言の出ださざるは躬の逮ばざるを恥ずればなり言行実行批評
関連する章句
-
易経・繋辞上子曰く、「君子其の室に居りて、其の言を出だすに、善なれば則ち千里の外も之に応ず。況んや其の邇(ちか)き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善ならざれば、則ち千里の外も之に違(たが)う。況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わり、行いは邇きより発して、遠きに見(あら)わる。言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は、君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」と。
-
説苑・說叢君子の言は寡くして實あり、小人の言は多くして虛あり。君子の學や、耳に入り、心に藏し、之を行うに身を以てす。君子の治や、見るに足らざるに始まり、及ぶべからざるに終わる。君子は福を慮ること及ばず、禍を慮ること之を百にす。君子は人を擇びて取り、人を擇ばずして與う。君子は實なること虛の如く、有ること無きが如し。
-
孫子・行軍篇辞卑くして備えを益す者は、進むなり。辞強くして進駆する者は、退くなり。軽車先ず出でて其の側に居る者は、陣するなり。約無くして和を請う者は、謀るなり。
-
言志四録・南洲手抄信を人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。
-
論語・公冶長篇子路聞くこと有りて、未だ之を行うこと能わざれば、唯だ聞くこと有らんことを恐る。
-
論語・子罕篇子曰く、之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか。