塩鉄論 / 崇禮篇
大夫曰:「晏子相齊三君、崔慶無道、劫其君、亂其國、靈公國圍、莊公弒死、景公之時、晉人來攻、取垂都、舉臨菑、邊邑削、城郭焚、宮室隳、寶器盡、何沖之所能折乎?由此觀之:賢良所言、賢人為寶、則損益無輕重也。」
新字:大夫曰:「晏子相斉三君、崔慶無道、劫其君、乱其国、霊公国囲、荘公弒死、景公之時、晉人来攻、取垂都、舉臨菑、辺邑削、城郭焚、宮室隳、宝器尽、何沖之所能折乎?由此観之:賢良所言、賢人為宝、則損益無軽重也。」
書き下し
大夫曰く、晏子は齊の三君に相たり、崔・慶は無道にして、其の君を劫かし、其の國を亂す。靈公は國圍まれ、莊公は弒せられて死し、景公の時、晉人來たり攻め、垂都を取り、臨菑を舉げ、邊邑は削られ、城郭は焚かれ、宮室は隳たれ、寶器は盡く。何の沖をか能く折く所ぞ。此に由りて之を觀れば、賢良の言う所、賢人を寶と為すとは、則ち損益に輕重無きなり。
現代語訳
大夫が言った。「晏子は斉の三代の君に宰相として仕えた。だが崔杼と慶封は無道で、君主を脅し、国を乱した。霊公のときは国都を囲まれ、荘公は弑されて死んだ。景公のときには晋の軍が攻めてきて垂都を奪い、臨淄を攻め落とし、辺境の町は削られ、城郭は焼かれ、宮室は壊され、宝器は奪い尽くされた。いったいどこで敵の攻撃をくじいたというのか。こうして見ると、賢良の言う『賢人こそ宝だ』という話は、損得の上でどれほどの重みもない」
解説
前段の締めに使われた晏子を、そのまま事実で潰しにいった段です。**晏子は三代の君に仕えた。その間に君主は脅され、弑され、都は落ち、宝器は奪い尽くされた。**では、どこで千里の外の攻撃をくじいたのか、と。賢人を宝とする議論に対して、その賢人が仕えた国の実際の帰結を並べる。理念を年表で崩すという、この討論で大夫がくり返してきた手つきが、いちばん鮮明に出ています。
この章句が説くこと
晏子は斉の三君に相たり何の沖をか能く折く所ぞ賢人を宝と為すとは則ち損益に軽重無きなり人材成果実績
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