塩鉄論 / 授時篇
賢良曰:「古者、春省耕以補不足、秋省斂以助不給。民勤於財則貢賦省、民勤於力則功築罕。為民愛力、不奪須臾。故召伯聽斷於甘棠之下、為妨農業之務也。今時雨澍澤、種懸而不得播、秋稼零落乎野而不得收。田疇赤地、而停落成市、發春而後、懸青幡而策土牛、殆非明主勸耕稼之意、而春令之所謂也。」
新字:賢良曰:「古者、春省耕以補不足、秋省斂以助不給。民勤於財則貢賦省、民勤於力則功築罕。為民愛力、不奪須臾。故召伯聴断於甘棠之下、為妨農業之務也。今時雨澍沢、種懸而不得播、秋稼零落乎野而不得収。田疇赤地、而停落成市、発春而後、懸青幡而策土牛、殆非明主勧耕稼之意、而春令之所謂也。」
書き下し
賢良曰く、古者、春に耕を省て以て不足を補い、秋に斂を省て以て不給を助く。民、財に勤むれば則ち貢賦省かれ、民、力に勤むれば則ち功築罕なり。民の為に力を愛しみ、須臾も奪わず。故に召伯の甘棠の下に聽斷せしは、農業の務めを妨げんことを為ればなり。今、時雨澤に澍ぐも、種は懸かりて播くを得ず、秋稼は野に零落して收むるを得ず。田疇は赤地にして、停落は市を成す。春を發して後、青幡を懸けて土牛を策つは、殆んど明主の耕稼を勸むるの意に非ずして、春令の謂う所ならんや。
現代語訳
賢良が言った。「昔は、春に耕作の様子を見て足りない分を補い、秋に収穫の様子を見て届かない分を助けました。民が財を稼ぐことに励んでいれば貢賦を減らし、民が力仕事に励んでいれば土木工事を控えた。民のために労力を惜しみ、わずかな時間も奪わなかったのです。召公が甘棠の木の下で裁きを行ったのも、農作業の妨げになるのを避けるためでした。いまは、恵みの雨が降っても、種は吊るしたままで蒔くことができず、秋の実りは野に落ちても収めることができない。田畑は赤茶けた地肌をさらし、労役の宿場だけが市場のように賑わっている。春になってから青い幟を掲げ、土で作った牛に鞭を当てる。それは明君が耕作を勧める本意ではなく、春の令が言うところのものでもないでしょう」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『塩鉄論』授時篇大夫曰く、縣官の百姓に於けるは、慈父の子に於けるがごときなり。忠あらば焉んぞ能く誨うる勿からんや。之を愛して勞せしむる勿からんや。故に春に親ら耕して以て農を勸め、賑貸して以て不足を贍し、滀水を通じ、輕系を出だし、民をして時に務めしむるなり。恩を蒙り澤を被りて、而も今に至るまで猶お貧困を以てす、其の與に道に適き難きこと是くの若きかな。
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『塩鉄論』取下篇賢良曰く、古者、上取るに量有り、自ら養うに度有り、樂歲には盜まず、年饑うれば則ち肆す。民の力を用うること、歲に三日を過ぎず、籍斂は、十一を過ぎず。君篤く愛し、臣力を盡くし、上下交々讓りて、天下平らかなり。『浚く爾の私を發せ』とは、上の下に讓るなり。『遂に我が私に及ぶ』とは、公職を先にするなり。孟子曰く、『未だ仁にして其の親を遺つる者、義にして其の君を後にする者有らざるなり』と。君君たり臣臣たり、何為れぞ其れ禮義無からんや。周の末塗に及びて、德惠塞がりて嗜欲眾く、君は奢侈にして上求むること多く、民は下に困しみ、上公に怠る、是を以て履畝の稅有りて、碩鼠の詩作れるなり。衛の靈公、隆冬に當たりて眾を興して池を穿つ。海春諫めて曰く、『天寒く、百姓凍餒す、願わくは公の役を罷めんことを』と。公曰く、『天寒きかな。我何ぞ寒からざるや』と。人の言に曰く、『安き者は危きを恤む能わず、飽く者は饑うるを食わしむる能わず』と。故に粱肉に余りある者は隱約を言い難く、佚樂に處る者は勤苦を言い難し。夫れ高堂邃宇、廣廈洞房なる者は、專屋狹廬、上漏り下濕る者の窘しみを知らず。馬を系ぐこと百駟、貨財內に充ち、陳きを儲え新しきを納るる者は、旦有りて暮無く、稱貸する者の急を知らず。廣第唐園、良田連比なる者は、運踵の業無く、宅に竄頭する者の役を知らず。原馬山を被い、牛羊谷に滿つる者は、孤豚瘠犢すら無き者の窶しきを知らず。枕を高くして談臥し、叫號無き者は、私責と吏正とに憂え戚しむ者の愁いを知らず。紈を被り韋を躡み、粱を搏り肥を嚙む者は、短褐の寒き、糠の苦きを知らず。房闈の間に從容として、垂拱して案食を持する者は、耒を跖みて躬ら耕す者の勤めを知らず。堅きに乘り良きを驅り、騎を列ねて行を成す者は、檐を負いて步行する者の勞を知らず。匡床旃席、侍御側に滿つる者は、輅を負い船を挽き、高きに登り流れを絕つ者の難きを知らず。輕暖を衣、美裘を被り、溫室に處り、安車に載る者は、邊城に乘り、胡・代に飄い、清風に鄉かう者の危寒を知らず。妻子好合し、子孫之を保つ者は、老母の憔悴、匹婦の悲恨を知らず。耳に五音を聽き、目に弄優を視る者は、流矢を蒙り、敵を方外に距ぐ者の死を知らず。東に向かいて几に伏し、筆を振るいて文を調うるが如き者は、木索の急、棰楚せらるる者の痛みを知らず。旃茵の上に坐し、圖籍の言を易きが若く然りと安んずる者も、亦た步涉する者の難きを知らざるなり。昔、商鞅の秦に任ぜらるるや、人を刑すること菅茅を刈るが若く、師を用うること彈丸の若し。軍に從う者は骨を長城に暴し、戍漕する者は輦車相い望む。生きて往き、死して旋る、彼れ獨り人の子に非ざらんや。故に君子は仁もて以て恕し、義もて以て度り、好惡する所は天下と之を共にし、不仁なる者には施さざる所なり。公劉は貨を好みて、居る者に積有り、行く者に囊有り。太王は色を好みて、內に怨女無く、外に曠夫無し。文王は刑を作りて、國に怨獄無し。武王は師を行りて、士は樂しみて之が為に死し、民は樂しみて之が為に用いらる。斯くの若くんば、則ち民何ぞ苦しみて怨み、何をか求めて譏らんや。
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『塩鉄論』水旱篇賢良曰く、卒徒工匠とや。故に民の租を占めて鼓鑄し、鹽を煮るを得し時、鹽は五穀と賈を同じくし、器は和利にして用に中れり。今、縣官の鐵器を作るや、多く苦惡にして、用費省かれず、卒徒煩わしくして力作盡くさず。家人相い一にし、父子力を戮せ、各々善器を為るを務め、器の善からざる者は集まらず。農事急なれば、挽運して之を阡陌の間に衍く。民相い與に市買し、財貨・五穀・新幣を以て貨に易うるを得、或いは時に民に貰し、作業を棄てず。田器を置くに、各々欲する所を得たり。更繇は省約にして、縣官は徒を以て復た作りて道橋諸發を繕治す、民之を便とせり。今、其の原を總べ、其の賈を壹にすれば、器多く堅くして、善惡擇ぶ所無し。吏數しば在らず、器得難し。家人多く儲うる能わず、多く儲うれば則ち鎮生ず。膏腴の日を棄てて、遠く田器を市れば、則ち良時に後る。鹽・鐵の賈貴くして、百姓便ならず。貧民は或いは木もて耕し手もて耨り、土耰して淡食す。鐵官は器を賣るも售れず、或いは頗る民に賦與す。卒徒作りて呈に中らず、時に命じて之を助けしむ。發征限り無く、更繇以て劇を均しくす、故に百姓之に疾苦す。古者、千室の邑、百乘の家、陶冶工商、四民の求め、以て相い更うるに足れり。故に農民は畦畝を離れずして田器に足り、工人は斬伐せずして材木に足り、陶冶は田を耕さずして粟米に足る、百姓各々其の便を得て、上は事無し。是を以て王者は本を務めて末を作さず、炫耀を去り、雕琢を除き、民を湛うるに禮を以てし、民に示すに樸を以てす、是を以て百姓は本を務めて末に營まず。
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『塩鉄論』散不足篇古者、庶人は春夏に耕耘し、秋冬に收藏す、昏晨に力作し、夜を以て日に繼ぐ。詩に云う、『晝は爾に茅を於り、宵は爾に绹を索う、亟かに其れ屋に乘れ、其れ始めて百穀を播かん』と。膢臘に非ざれば休息せず、祭祀に非ざれば酒肉無し。今賓昏の酒食は、接連して相い因り、酲を析くこと什の半ば、事を棄てて相い隨う、慮るに乏しき日無し。
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牧民忠告・宣化農の勤惰(きんだ)は、一歲の苦樂繋(か)かる所なれば、其の當に為すべき所、勸むるを待たざる者有り。時に因りて行治し、其の工を輟(や)め業を廢する者を視て之を切責すれば、遠近之を聞きて、必ず自ら勵(はげ)むを知らん。常に世の農を勸むる者を見るに、期に先んじて以て告げ、酒食を鳩(あつ)め、郊原に候し、將迎奔走して、絡繹(らくえき)寧(やす)きこと無く、蓋(けだ)し數日騷然たるなり。至れば則ち胥吏(しょり)・童卒雜然として威を生じ、賂遺(ろい)徵取(ちょうしゅ)、下(くだ)りて雞豚(けいとん)に及ぶ。名づけて之を勸むと為すも、其の實は之を擾(みだ)し、名づけて之を優(ゆう)すと為すも、其の實は之を勞す。嗟夫(ああ)、勸農の道他無し、其の時を奪わざるのみ。繁文末節、當に之を略すべし。
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『塩鉄論』水旱篇賢良曰く、農は天下の大業なり、鐵器は民の大用なり。器用便利なれば、則ち力を用うること少なくして作を得ること多く、農夫は事を樂しみ功を勸む。用具わらざれば、則ち田疇荒れ、穀殖えず、力を用うること鮮くして、功自ずから半ばす。器の便と不便と、其の功相い什して倍するなり。縣官の鐵器を鼓鑄するや、大抵多く大器を為り、員程に應ずるを務めて、民用に給せず。民用は鈍弊にして、草を割るも痛からず、是を以て農夫は作劇しくして、獲るを得る者少なく、百姓之に苦しむ。