塩鉄論 / 授時篇
大夫曰:「博戲馳逐之徒、皆富人子弟、非不足者也。故民饒則僭侈、富則驕奢、坐而委蛇、起而為非、未見其仁也。夫居事不力、用財不節、雖有財如水火、窮乏可立而待也。有民不畜、有司雖助之耕織、其能足之乎?」
新字:大夫曰:「博戯馳逐之徒、皆富人子弟、非不足者也。故民饒則僭侈、富則驕奢、坐而委蛇、起而為非、未見其仁也。夫居事不力、用財不節、雖有財如水火、窮乏可立而待也。有民不畜、有司雖助之耕織、其能足之乎?」
書き下し
大夫曰く、博戲馳逐の徒は、皆富人の子弟にして、足らざる者に非ざるなり。故に民饒かなれば則ち僭侈し、富めば則ち驕奢し、坐しては委蛇し、起ちては非を為す、未だ其の仁を見ざるなり。夫れ事に居りて力めず、財を用いて節せざれば、財有ること水火の如しと雖も、窮乏は立ちて待つべきなり。民有りて畜えざれば、有司之が耕織を助くと雖も、其れ能く之を足さんや。
現代語訳
大夫が言った。「博打や競走にふける連中は、みな富んだ家の子弟であって、足りない者ではない。だから民は豊かになれば身分不相応に贅沢をし、富めば驕り高ぶる。座っていればだらだらと過ごし、立てば悪事をはたらく。そこに仁があるのを、まだ見たことがない。そもそも仕事に就いても励まず、財を使って節度がなければ、財が水や火のようにあったとしても、窮乏は立ったまま待っていれば来る。民が自分で蓄えないのであれば、担当官が耕作や機織りを助けてやったところで、それで足りるようになるだろうか」
解説
「豊かにすれば仁が生まれる」に対して、事実を一つ置いて返した段です。**博打や競走にふけるのは、みな富んだ家の子弟だ。**足りない者ではない、と。豊かさが人を良くするなら、この事実の説明がつかない、という一点突破になっています。そのうえで、励まず節度もなければ、財が水や火のようにあっても窮乏は必ず来る、と続ける。相手が出した「水火」の比喩をそのまま借りて裏返すのが、この応酬のいつもの型です。
この章句が説くこと
博戯馳逐の徒は皆富人の子弟にして足らざる者に非ざるなり財有ること水火の如しと雖も窮乏は立ちて待つべきなり民有りて畜えざれば豊かさ浪費自助
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