鬼谷子 / 抵巇篇
自天地之合離終始、必有巇隙、不可不察也。察之以捭闔、能用此道、聖人也。聖人者、天地之使也。世無可抵、則深隱而待時、時有可抵、則爲之謀、可以上合、可以檢下。能因能循、爲天地守神。
新字:自天地之合離終始、必有巇隙、不可不察也。察之以捭闔、能用此道、聖人也。聖人者、天地之使也。世無可抵、則深隠而待時、時有可抵、則為之謀、可以上合、可以検下。能因能循、為天地守神。
書き下し
天地の合離終始より、必ず巇隙有り。察せざるべからざるなり。之を察するに捭闔を以てす。能く此の道を用うるは、聖人なり。聖人は、天地の使なり。世に抵ぐべき無くんば、則ち深く隱れて時を待つ。時に抵ぐべき有らば、則ち之が謀を爲す。以て上に合すべく、以て下を檢すべし。能く因り能く循い、天地の爲に神を守る。
現代語訳
天地が合わさり離れ、終わり始まるところから、必ずひび割れがある。よく見なければならない。これを見るには開閉による。この道をよく用いる者が聖人である。聖人とは、天地の使いである。世に押さえるべきものが無ければ、深く隠れて時を待つ。時に押さえるべきものがあれば、そのための謀りごとをなす。それによって上に合わせることもでき、下を検めることもできる。よく拠り、よく従い、天地のために神を守る。
解説
抵巇篇の結びは、待つことです。押さえるべきひび割れが無ければ、深く隠れて時を待つ。動かないことが積極的な選択として置かれています。技術を持っている人ほど、使いたくなります。使える場面が無いのに使えば、無いところにひび割れを作ることになる。この書が危険視されてきたことを思えば、著者自身がその危うさを分かっていたと読めます。経営でも同じで、打ち手を持っている経営者ほど、平穏な時期に不要な変革を仕掛けます。待てるかどうかは、技術の一部です。
この章句が説くこと
世に抵ぐべき無くんば深く隠れて時を待つ必ず巇隙有り時機待つ判断自制
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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