淮南子 / 要略
晚世之時,六國諸侯,溪異谷別,水絕山隔,各自治其境內,守其分地,握其權柄,擅其政令。下無方伯,上無天子,力征爭權,勝者為右,恃連與國,約重致,剖信符,結遠援,以守其國家,持其社稷,故縱橫修短生焉。
新字:晩世之時,六国諸侯,渓異谷別,水絶山隔,各自治其境内,守其分地,握其権柄,擅其政令。下無方伯,上無天子,力征争権,勝者為右,恃連与国,約重致,剖信符,結遠援,以守其国家,持其社稷,故縦横修短生焉。
書き下し
晚世の時、六國の諸侯、溪 異にし谷 別かち、水 絕え山 隔つ。各々自ら其の境內を治め、其の分地を守り、其の權柄を握り、其の政令を擅にす。下に方伯無く、上に天子無し。力征し權を爭い、勝つ者を右と爲す。連與の國を恃み、重致を約し、信符を剖き、遠援を結び、以て其の國家を守り、其の社稷を持す。故に縱橫修短 生ず。
現代語訳
後の世になると、六国の諸侯は谷を異にし山を隔て、水は絶え山は隔てられた。それぞれ自分の領内を治め、自分の分け前の土地を守り、権柄を握り、政令をほしいままにした。下に諸侯を束ねる方伯がなく、上に天子がない。力で攻め合い権を争い、勝った者を上とした。同盟する国を頼み、厚い取り決めを結び、割り符を分け、遠くの援けと結んで、自国を守り社稷を保った。だから合従連衡の長短を説く議論が生まれた。
解説
縦横家の説が生まれた条件が述べられます。上に天子がなく、下に束ね役の方伯もいない。勝った者が上、という状態です。誰も全体を保証しないから、割り符を分け遠くと結ぶしかない。外交の技術は、秩序の空白から生まれました。外交の技術は、秩序の空白から生まれたという説明です。誰も全体を保証しないから、遠くと結ぶしかありませんでした。勝った者が上、という状態が前提に置かれています。
この章句が説くこと
晩世の時六国の諸侯渓異にし谷別かち水絶え山隔つ各々自ら其の境内を治め其の権柄を握り其の政令を擅にす下に方伯無く上に天子無し力征し権を争い勝つ者を右と為す連与の国を恃み信符を剖き遠援を結ぶ故に縦横修短生ず縦横家
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