淮南子 / 泰族訓
張儀、蘇秦家無常居,身無定君,約從衡之事,為傾覆之謀,濁亂天下,撓滑諸侯,使百姓不遑啟居,或從或橫,或合眾弱,或輔富強,此異行而歸於醜者也。
新字:張儀、蘇秦家無常居,身無定君,約従衡之事,為傾覆之謀,濁乱天下,撓滑諸侯,使百姓不遑啟居,或従或横,或合眾弱,或輔富強,此異行而帰於醜者也。
書き下し
張儀・蘇秦は家に常居無く、身に定君無し。從衡の事を約し、傾覆の謀を爲し、天下を濁亂し、諸侯を撓滑し、百姓をして啟居するに遑あらざらしむ。或いは從し或いは橫し、或いは眾弱を合わせ、或いは富強を輔く。此れ行を異にして醜に歸する者なり。
現代語訳
張儀と蘇秦は、定まった住まいもなく、仕える定まった君主もなかった。合従と連衡の取り決めを結び、覆すための謀をめぐらせ、天下を濁し乱し、諸侯をかき回し、民に腰を落ち着ける暇も与えなかった。あるときは合従を説き、あるときは連衡を説き、あるときは弱い国々を集め、あるときは富強の国に力を貸した。これが、行いは違っていて醜に帰した者たちである。
解説
前段と対に置かれます。あちらは正反対の生き方が善に帰し、こちらは正反対の主張が醜に帰した。張儀と蘇秦は、合従も連衡も説きました。器用に見えて、注ぐ先がない。「家に常居無く、身に定君無し」——身を置く場所がないことは自由に見えて、帰る先がないことでもあります。
この章句が説くこと
張儀・蘇秦は家に常居無く身に定君無し従衡の事を約し傾覆の謀を為す天下を濁乱し諸侯を撓滑し百姓をして啟居するに遑あらざらしむ或いは従し或いは横し或いは眾弱を合わせ或いは富強を輔く此れ行を異にして醜に帰する者なり無定見
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