淮南子 / 詮言訓
故聖人掩跡于為善,而息名於為仁也。外交而為援,事大而為安,不若內治而待時。凡事人者,非以寶幣,必以卑辭。事以玉帛,則貨殫而欲厭;卑禮婉辭,則論說而交不結;約束誓盟,則約定而反無日。雖割國之錙錘以事人,而無自恃之道,不足以為全。若誠外釋交之策,而慎修其境內之事。盡其地力,以多其積;厲其民死,以牢其城;上下一心,君臣同志;與之守社稷,斅死而民弗離,則為名者不伐無罪,而為利者不攻難勝,此必全之道也。
新字:故聖人掩跡于為善,而息名於為仁也。外交而為援,事大而為安,不若内治而待時。凡事人者,非以宝幣,必以卑辞。事以玉帛,則貨殫而欲厭;卑礼婉辞,則論説而交不結;約束誓盟,則約定而反無日。雖割国之錙錘以事人,而無自恃之道,不足以為全。若誠外釈交之策,而慎修其境内之事。尽其地力,以多其積;厲其民死,以牢其城;上下一心,君臣同志;与之守社稷,斅死而民弗離,則為名者不伐無罪,而為利者不攻難勝,此必全之道也。
書き下し
故に聖人は跡を善を爲すに掩い、名を仁を爲すに息む。外交して援と爲し、大に事えて安と爲すは、內を治めて時を待つに若かず。凡そ人に事うる者は、寶幣を以てするに非ざれば、必ず卑辭を以てす。事うるに玉帛を以てすれば、則ち貨 殫きて欲 厭く。禮を卑くし辭を婉らかにすれば、則ち論説して交わり結ばれず。約束誓盟すれば、則ち約 定まりて反くこと日無し。國の錙錘を割きて以て人に事うと雖も、自ら恃むの道無ければ、以て全しと爲すに足らず。若し誠に外は交を釋つるの策にして、慎みて其の境內の事を修め、其の地力を盡くして以て其の積を多くし、其の民を厲まして死せしめ、以て其の城を牢くし、上下 一心、君臣 志を同じくし、之と社稷を守り、死を斅えて民 離れざれば、則ち名を爲す者は無罪を伐たず、利を爲す者は勝ち難きを攻めず。此れ必ず全うするの道なり。
現代語訳
だから聖人は善を行った跡を覆い、仁を行った名を消す。外に交わりを結んで助けとし、大国に仕えて安全としようとするのは、内を治めて時を待つに及ばない。人に仕えるには、宝や幣によらなければ、必ずへりくだった言葉による。玉や絹で仕えれば、財が尽きても相手の欲は満たされたまま。礼を低くし言葉を柔らかくすれば、話し合いはできても交わりは結ばれない。約束や盟約を結べば、取り決めが定まったそばから背かれる日が来る。国の土地を少しずつ割いて人に仕えても、自分で頼れる道がなければ、全うしたとはいえない。もし本当に、外に対しては交わりに頼る策を捨て、慎んで領内の事を整え、土地の力を尽くして蓄えを多くし、民を励まして死をも辞さないようにさせ、城を堅くし、上下が心を一つにし、君臣が志を同じくして、ともに社稷を守り、死を習い覚えて民が離れなければ、名を求める者は罪のない国を討たず、利を求める者は勝ちにくい国を攻めない。これが必ず全うする道である。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公元年 垂櫜して入る小國恃みを失ひて、諸侯を懲らさば、憾みざる者莫からしめ、君命に距違して、壅塞して行はれざる所有らんことを是れ懼る。然らずんば、敝邑は館人の屬なり。其れ敢へて豐氏の祧を愛しまんや」と。伍舉其の備へ有るを知るなり、請ふ櫜を垂れて入らんと。之を許す。正月乙未、入りて逆へて出づ。遂に虢に會す。宋の盟を尋ぬるなり。祁午趙文子に謂ひて曰く、「宋の盟に、楚人晉に志を得たり。今令尹の不信、諸侯の聞く所なり。子戒めずんば、懼らくは又宋の如くならん。子木の信、諸侯に稱せらるるも、猶ほ晉を詐りて駕す。況んや不信の尤なる者をや。楚重ねて晉に志を得ば、晉の恥なり。子晉國に相として、以て盟主と為ること、今に於て七年なり。再び諸侯を合し、三たび大夫を合し、齊・狄を服し、東夏を寧んじ、秦の亂を平らげ、淳于に城く。師徒頓れず、
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』昭公五年 晋、備えを失はず朝聘に珪有り、享覜に璋有り。小は述職有り、大は巡功有り。机を設けて倚らず、爵盈ちて飲まず。宴に好貨有り、飧に陪鼎有り。入るに郊勞有り、出づるに贈賄有り。禮の至りなり。國家の敗るるは、之が道を失へばなり。則ち禍亂興る。城濮の役、晉楚の備へ無くして、以て邲に敗る。邲の役、楚晉の備へ無くして、以て鄢に敗る。鄢より以來、晉備へを失はず、而して之に加ふるに禮を以てし、之を重ぬるに睦を以てす。是を以て楚報ゆる能はずして、親しみを求む。既に姻親を獲て、又之を恥づかしめんと欲し、以て寇讎を召く。之に備ふること若何。誰か其れ此を重んぜん。若し其の人有らば、之を恥づかしむるも可なり。若し其れ未だ有らずんば、君亦た之を圖れ。晉の君に事ふる、臣は可なりと曰はん。諸侯を求むれば麇(むら)がり至り、昏を求むれば女を薦む。君親ら之を送り、上卿及び上大夫之を致す。猶ほ之を恥づかしめんと欲す、君其れ亦た備へ有らん。然らずんば奈何せん。韓起の下に、趙成・中行吳・魏舒・范鞅・知盈有り。羊舌肸の下に、
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言志四録・言志晩録 別存 第二十六条 酒樽を破りて舟人に飲ましむ辛未の歳、韓人来聘す。旨有りて之を対州に館し、大小の官員を遣はして聘を受けしむ。公も亦焉に与る。公海を渡る時、酒数樽を貯へしむ。人其の故を知らず。既にして事訖り、纜を解きて帰に就く。時に風浪驟かに興り、風逆ひ、舟人極めて苦しむ。公乃ち自ら酒樽を倒し、鎗鐓を以て其の底を撞き破り、手自ら飯椀を以て之を斟み、舟人に飲ましむ。舟人是に於て気力一倍し、我が船独り先づ唐津に達す。他船は則ち後るること数十里なりと云ふ。
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