淮南子 / 要略
墨子學儒者之業,受孔子之術,以為其禮煩擾而不說,厚葬靡財而貧民,服傷生而害事,故背周道而行夏政。禹之時,天下大水,禹身執蔂垂,以為民先,剔河而道九岐,鑿江而通九路,辟五湖而定東海,當此之時,燒不暇撌,濡不給扢,死陵者葬陵,死澤者葬澤,故節財、薄葬、閑服生焉。
新字:墨子学儒者之業,受孔子之術,以為其礼煩擾而不説,厚葬靡財而貧民,服傷生而害事,故背周道而行夏政。禹之時,天下大水,禹身執蔂垂,以為民先,剔河而道九岐,鑿江而通九路,辟五湖而定東海,当此之時,焼不暇撌,濡不給扢,死陵者葬陵,死沢者葬沢,故節財、薄葬、閑服生焉。
書き下し
墨子 儒者の業を學び、孔子の術を受く。以爲えらく、其の禮 煩擾にして說ばず、厚葬は財を靡やして民を貧しくし、服は生を傷りて事を害す、と。故に周道に背きて夏政を行う。禹の時、天下 大水す。禹 身ら蔂垂を執り、以て民の先と爲る。河を剔きて九岐に道き、江を鑿ちて九路に通じ、五湖を辟きて東海を定む。此の時に當たり、燒くるも撌うに暇あらず、濡るるも扢うに給わず。陵に死する者は陵に葬り、澤に死する者は澤に葬る。故に節財・薄葬・閑服 生ず。
現代語訳
墨子は儒者の学問を学び、孔子の術を受けた。だが、その礼は煩雑で楽しめず、手厚い葬儀は財を費やして民を貧しくし、喪服の制は生きている者を損なって仕事を妨げると考えた。だから周の道に背いて夏の政を行った。禹の時代、天下は大洪水だった。禹は自ら畚とすきを取って民の先頭に立ち、黄河を分けて九つの支流に導き、長江を掘って九つの水路に通じ、五湖を開いて東海を定めた。このとき、体を焼いても拭う暇がなく、濡れても乾かす間もなかった。丘で死んだ者は丘に葬り、沢で死んだ者は沢に葬った。だから、財を節し、葬を薄くし、服喪を簡略にする教えが生まれた。
解説
墨子の節葬・短喪が、禹の治水の現場から説明されます。丘で死ねば丘に、沢で死ねば沢に葬るしかなかった。儀礼を省いたのは思想以前に、そうするしかない現場があったからだ、と。「墨子 儒者の業を學び」から始まっているのも大事なところで、批判者はまずその学派の内側にいました。
この章句が説くこと
墨子儒者の業を学び孔子の術を受く其の礼煩擾にして説ばず厚葬は財を靡やして民を貧しくす故に周道に背きて夏政を行う禹身ら蔂垂を執り以て民の先と為る陵に死する者は陵に葬り沢に死する者は沢に葬る故に節財・薄葬・閑服生ず墨子
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