淮南子 / 要略
文王業之而不卒,武王繼文王之業,用太公之謀,悉索薄賦,躬擐甲胄,以伐無道而討不義,誓師牧野,以踐天子之位。天下未定,海內未輯,武王欲昭文王之令德,使夷狄各以其賄來貢,遼遠未能至,故治三年之喪,殯文王於兩楹之間,以俟遠方。
新字:文王業之而不卒,武王継文王之業,用太公之謀,悉索薄賦,躬擐甲胄,以伐無道而討不義,誓師牧野,以践天子之位。天下未定,海内未輯,武王欲昭文王之令徳,使夷狄各以其賄来貢,遼遠未能至,故治三年之喪,殯文王於両楹之間,以俟遠方。
書き下し
文王 之を業として卒えず。武王 文王の業を繼ぎ、太公の謀を用い、悉く索めて賦を薄くし、躬ら甲胄を擐き、以て無道を伐ちて不義を討ち、師を牧野に誓いて、以て天子の位を踐む。天下 未だ定まらず、海內 未だ輯まらず。武王 文王の令德を昭らかにし、夷狄をして各々其の賄を以て來貢せしめんと欲す。遼遠にして未だ至る能わず。故に三年の喪を治め、文王を兩楹の間に殯して、以て遠方を俟つ。
現代語訳
文王はそれを事業としながら成し遂げずに終わった。武王が文王の事業を継ぎ、太公望の謀を用い、あらゆる手を尽くして税を軽くし、自ら甲冑をまとって、無道を伐ち不義を討ち、牧野で軍に誓って、天子の位に就いた。天下はまだ定まらず、四海はまだ集まっていない。武王は文王の立派な徳を明らかにし、異民族それぞれに貢ぎ物を持って来させようとした。だが遠すぎてまだ到着できない。だから三年の喪を営み、文王の柩を二本の柱のあいだに安置して、遠方の到着を待った。
解説
三年の喪という制度の由来が、意外な角度から語られます。遠い異民族の使者が到着するのに時間がかかるから、それまで待つために期間を置いた、と。儀礼が先にあったのではなく、実際的な必要が形になったという説明です。制度の由来を、その時の事情から説き起こす要略の書き方が、ここでも通っています。制度の由来を、その時の事情から説き起こす書き方です。
この章句が説くこと
文王之を業として卒えず武王文王の業を継ぎ太公の謀を用う悉く索めて賦を薄くし躬ら甲胄を擐き以て無道を伐つ師を牧野に誓いて以て天子の位を践む天下未だ定まらず海内未だ輯まらず故に三年の喪を治め文王を両楹の間に殯して以て遠方を俟つ由来
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