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荘子 / 天下

墨子稱道曰:「昔者禹之湮洪水,決江河而通四夷九州也,名山三百,支川三千,小者無數。禹親自操稿耜而九雜天下之川,腓無胈,脛無毛,沐甚雨,櫛疾風,置萬國。禹,大聖也,而形勞天下也如此。」使後世之墨者多以裘褐為衣,以跂蹻為服,日夜不休,以自苦為極,曰:「不能如此,非禹之道也,不足謂墨。」相里勤之弟子五侯之徒,南方之墨者苦獲、已齒、鄧陵子之屬,俱誦《墨經》,而倍譎不同,相謂別墨,以堅白、同異之辯相訾,以觭偶不仵之辭相應,以巨子為聖人,皆願為之尸,冀得為其後世,至今不決。

新字:墨子稱道曰:「昔者禹之湮洪水,決江河而通四夷九州也,名山三百,支川三千,小者無数。禹親自操稿耜而九雑天下之川,腓無胈,脛無毛,沐甚雨,櫛疾風,置万国。禹,大聖也,而形労天下也如此。」使後世之墨者多以裘褐為衣,以跂蹻為服,日夜不休,以自苦為極,曰:「不能如此,非禹之道也,不足謂墨。」相里勤之弟子五侯之徒,南方之墨者苦獲、已齒、鄧陵子之属,俱誦《墨経》,而倍譎不同,相謂別墨,以堅白、同異之辯相訾,以觭偶不仵之辞相応,以巨子為聖人,皆願為之尸,冀得為其後世,至今不決。

書き下し

墨子道を称して曰く、「昔者、禹の洪水を湮(ふさ)ぎ、江河を決して四夷九州に通ずるや、名山三百、支川三千、小なる者は数無し。禹は親(みずか)ら自ら稿耜(こうし)を操りて天下の川を九雑(きゅうざつ)す。腓(こむら)に胈(はだ)無く、脛に毛無し。甚雨に沐(かみあら)い、疾風に櫛(くしけず)り、万国を置く。禹は、大聖なり。而して形を天下に労すること此の如し」と。後世の墨者をして多く裘褐(きゅうかつ)を以て衣と為し、跂蹻(きぎゃく)を以て服と為し、日夜休まず、自ら苦しむを以て極と為さしむ。曰く、「此の如くする能わざれば、禹の道に非ず。以て墨と謂うに足らず」と。相里勤(そうりきん)の弟子五侯の徒、南方の墨者苦獲(くかく)・已歯(いし)・鄧陵子(とうりょうし)の属、俱に《墨経》を誦す。而も倍譎(ばいけつ)して同じからず。相謂いて別墨と為す。堅白・同異の辯を以て相訾(あいそし)り、觭偶不仵(きぐうふご)の辞を以て相応ず。巨子を以て聖人と為し、皆な之が尸(し)と為らんことを願い、其の後世と為るを得んことを冀(こいねが)う。今に至るまで決せず。

現代語訳

墨子は道を語って言った。「昔、禹が洪水を塞ぎ、長江や黄河を切り開いて四方の異民族と九州に通じさせた時、名のある山を三百、支流を三千、小さな川は数え切れないほど整えた。禹は自ら鋤を手に取り、天下の川を混ぜ合わせるように治めた。ふくらはぎに肉はなく、脛に毛もなかった。豪雨に髪を洗われ、疾風に髪を梳かれながら、万国を安定させた。禹は大いなる聖人である。それでいて、天下のためにこれほど身を労したのだ」。それで後の世の墨者たちは、多くが粗末な毛皮を着、藁の履物を履き、昼夜休まず、自ら苦しむことを究極とするようになった。そして言った。「こうできない者は、禹の道ではない。墨者と呼ぶに値しない」。相里勤の弟子である五侯の一派、南方の墨者である苦獲・已歯・鄧陵子の一派は、ともに『墨経』を暗誦した。しかし解釈が食い違い、互いを『別墨』と呼び合った。堅白論や同異論の弁論で互いをけなし、奇数と偶数が合わないような言葉で応酬した。それぞれの巨子を聖人とし、みなその後継者になろうと願い、今に至るまで決着がついていない。

解説

墨家が分裂していく過程を描いた一段です。禹の献身を理想として掲げ、「こうできない者は墨者ではない」と言い始める。ここから、苦行の競争が始まります。誰が最も苦しんでいるか、誰が最も禹に近いか。そして解釈が食い違い、互いを『別墨』と呼び合って争う。理想が高すぎると、その理想への忠実さを競う争いが生まれる。分裂の原因は、理想の高さそのものだったのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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