淮南子 / 要略
今謂之道則多,謂之物則少,謂之術則博,謂之事則淺,推之以論,則無可言者,所以為學者,固欲致之不言而已也。夫道論至深,故多為之辭,以抒其情;萬物至眾,故博為之說,以通其意。辭雖壇卷連漫,絞紛遠緩,所以洮汰滌蕩至意,使之無凝竭底滯,卷握而不散也。
新字:今謂之道則多,謂之物則少,謂之術則博,謂之事則浅,推之以論,則無可言者,所以為学者,固欲致之不言而已也。夫道論至深,故多為之辞,以抒其情;万物至眾,故博為之説,以通其意。辞雖壇巻連漫,絞紛遠緩,所以洮汰滌蕩至意,使之無凝竭底滞,巻握而不散也。
書き下し
今 之を道と謂えば則ち多く、之を物と謂えば則ち少なく、之を術と謂えば則ち博く、之を事と謂えば則ち淺し。之を推すに論を以てすれば、則ち言う可き者無し。學を爲す所以の者は、固より之を不言に致さんと欲するのみ。夫れ道論は至って深し。故に多く之が辭を爲して、以て其の情を抒ぶ。萬物は至って眾し。故に博く之が說を爲して、以て其の意を通ず。辭は壇卷連漫、絞紛遠緩なりと雖も、至意を洮汰滌蕩し、之をして凝竭底滯し、卷握して散ぜざること無からしむる所以なり。
現代語訳
これを道と呼べば大きすぎ、物と呼べば小さすぎる。術と呼べば広すぎ、事と呼べば浅すぎる。議論で押し進めれば、言えることは何もなくなる。学ぶというのは、もともと、言葉によらないところへ行き着こうとすることである。道の論はきわめて深い。だから言葉を多くして、その実情を述べた。万物はきわめて多い。だから説を広く述べて、その意を通じさせた。言葉が長くうねり、入り組んで遠回りに見えても、それは本意を洗い流し、凝り固まって底に淀んだり、丸めたまま解けなくなったりしないようにするためである。
解説
「學を爲す所以の者は、固より之を不言に致さんと欲するのみ」。言葉を尽くすのは、言葉の要らないところへ行くためだ、と。だから長さは冗長さではなく、洗い流すための水量として説明されます。「凝竭底滯し、卷握して散ぜざること無からしむる」——固まって淀まないように、繰り返し流す。
この章句が説くこと
之を道と謂えば則ち多く之を物と謂えば則ち少なし之を推すに論を以てすれば則ち言う可き者無し学を為す所以の者は固より之を不言に致さんと欲するのみ道論は至って深し故に多く之が辞を為して以て其の情を抒ぶ至意を洮汰滌蕩し之をして凝竭底滞し巻握して散ぜざること無からしむる所以なり言葉
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