淮南子 / 要略
《人間》者,所以觀禍福之變,察利害之反,鑽脈得失之跡,標舉終始之壇也。分別百事之微,敷陳存亡之機,使人知禍之為福,亡之為得,成之為敗,利之為害也。誠喻至意,則有以傾側偃仰世俗之間,而無傷乎讒賊螫毒者也。
新字:《人間》者,所以観禍福之変,察利害之反,鑽脈得失之跡,標舉終始之壇也。分別百事之微,敷陳存亡之機,使人知禍之為福,亡之為得,成之為敗,利之為害也。誠喻至意,則有以傾側偃仰世俗之間,而無傷乎讒賊螫毒者也。
書き下し
人間なる者は、禍福の變を觀、利害の反を察し、得失の跡を鑽脈し、終始の壇を標舉する所以なり。百事の微を分別し、存亡の機を敷陳し、人をして禍の福と爲り、亡の得と爲り、成の敗と爲り、利の害と爲るを知らしむ。誠に至意を喻さば、則ち以て世俗の間に傾側偃仰して、讒賊螫毒に傷わるる無き者なり。
現代語訳
人間篇は、禍と福の移り変わりを見、利と害が裏返るのを観察し、得失の跡を掘り探り、始めと終わりの土台を掲げるためのものである。あらゆる事の微かなところを分け、存亡のかなめを述べ広げ、人に、禍が福になり、失うことが得ることになり、成ることが敗れることになり、利が害になると知らせる。その本意をまことに悟れば、世俗のあいだで身をかわし起き伏ししながら、讒言や毒に傷つけられずにいられる。
解説
塞翁が馬や、宋の父子の話が置かれていた篇の趣旨です。狙いは達観ではなく、実際的な自衛でした。「世俗の間に傾側偃仰して、讒賊螫毒に傷わるる無き」——世の中で身をかわしながら、悪意に傷つけられずにいること。禍福の転変を知ることは、世を渡る技術として扱われています。
この章句が説くこと
人間なる者は禍福の変を観利害の反を察す得失の跡を鑽脈し終始の壇を標舉する所以なり百事の微を分別し存亡の機を敷陳す人をして禍の福と為り亡の得と為り成の敗と為り利の害と為るを知らしむ世俗の間に傾側偃仰して讒賊螫毒に傷わるる無き者なり人間訓
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