淮南子 / 人間訓
居一年,其子又無故而盲。其後楚攻宋,圍其城。當此之時,易子而食,析骸而炊,丁壯者死,老病童兒皆上城,牢守而不下。楚王大怒,城已破,諸城守者皆屠之。此獨以父子盲之故,得無乘城。軍罷圍解,則父子俱視。夫禍福之轉而相生,其變難見也。
新字:居一年,其子又無故而盲。其後楚攻宋,囲其城。当此之時,易子而食,析骸而炊,丁壮者死,老病童児皆上城,牢守而不下。楚王大怒,城已破,諸城守者皆屠之。此独以父子盲之故,得無乗城。軍罷囲解,則父子倶視。夫禍福之転而相生,其変難見也。
書き下し
居ること一年、其の子 又た故無くして盲す。其の後 楚 宋を攻め、其の城を圍む。此の時に當たり、子を易えて食らい、骸を析きて炊ぐ。丁壯なる者は死し、老病 童兒 皆な城に上り、牢く守りて下らず。楚王 大いに怒り、城 已に破れて、諸々の城を守る者 皆な之を屠る。此れ獨り父子の盲するを以ての故に、城に乘るを得ること無し。軍 罷み圍み解くるや、則ち父子 俱に視る。夫れ禍福の轉じて相い生ずる、其の變 見難きなり。
現代語訳
一年たって、その子もまた理由もなく目が見えなくなった。その後、楚が宋を攻め、城を囲んだ。このとき、人々は子を交換して食い、骨を割って煮炊きした。壮年の者は死に、老人も病人も子どもも皆が城壁に上がり、固く守って降りなかった。楚王は大いに怒り、城が破られると、城を守った者はみな殺した。ところがこの父子だけは、目が見えなかったために城壁に上がらずに済んだ。軍が引き上げ囲みが解けると、父子はどちらも見えるようになった。禍と福が転じて互いを生む、その移り変わりは見えにくいものである。
解説
吉祥と言われて失明した父子は、その失明のおかげで城壁に上がらずに済み、生き延びました。しかも囲みが解けると目が戻る。前章の父が「其の事 未だ究まらず」と言った意味が、ここで初めて分かります。「禍福の轉じて相い生ずる、其の變 見難きなり」——見えにくいのは結末そのものではなく、いまがどの途中なのか、です。
この章句が説くこと
居ること一年其の子又た故無くして盲す其の後楚宋を攻め其の城を囲む子を易えて食らい骸を析きて炊ぐ城已に破れて諸々の城を守る者皆な之を屠る此れ独り父子の盲するを以ての故に城に乗るを得ること無し夫れ禍福の転じて相い生ずる其の変見難きなり禍福
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