淮南子 / 要略
《本經》者,所以明大聖之德,通維初之道,埒略衰世古今之變,以褒先世之隆盛,而貶末世之曲政也。所以使人黜耳目之聰明,精神之感動,樽流遁之觀,節養性之和,分帝王之操,列小大之差者也。
新字:《本経》者,所以明大聖之徳,通維初之道,埒略衰世古今之変,以褒先世之隆盛,而貶末世之曲政也。所以使人黜耳目之聰明,精神之感動,樽流遁之観,節養性之和,分帝王之操,列小大之差者也。
書き下し
本經なる者は、大聖の德を明らかにし、維初の道に通じ、衰世古今の變を埒略し、以て先世の隆盛を褒め、末世の曲政を貶する所以なり。人をして耳目の聰明、精神の感動を黜け、流遁の觀を樽み、養性の和を節し、帝王の操を分かち、小大の差を列ねしむる所以の者なり。
現代語訳
本経篇は、大いなる聖人の徳を明らかにし、始まりの道に通じ、衰えた世と古今の移り変わりを大づかみに区切って、昔の盛んだった時代を称え、末の世の曲がった政治を貶すためのものである。人に、耳目の鋭さや精神の高ぶりを退けさせ、流れ去っていくものを眺める楽しみを控えさせ、性を養う調和を整えさせ、帝と王の身の処し方を分け、大小の差を並べさせるためのものである。
解説
「耳目の聰明、精神の感動を黜け」。よく見え、よく聞こえ、心が高ぶること——ふつうは長所とされるものを、あえて退けさせる篇だと説明されます。刺激の強いものを断つことが、性を養う調和につながる。泰族訓の「聲無き者は正に其の聽く可き者なり」と同じ線上にあります。
この章句が説くこと
本経なる者は大聖の徳を明らかにし維初の道に通ず衰世古今の変を埒略し以て先世の隆盛を褒め末世の曲政を貶する所以なり人をして耳目の聰明精神の感動を黜けしむ流遁の観を樽み養性の和を節す帝王の操を分かち小大の差を列ねしむる所以の者なり本経
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