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淮南子 / 齊俗訓

故古之聖王,能得諸己,故令行禁止,名傳後世,德施四海。是故凡將舉事,必先平意清神。神清意平,物乃可正。若璽之抑埴,正與之正,傾與之傾。故堯之舉舜也,決之於目;桓公之取甯戚也,斷之於耳而已矣。為是釋術數而任耳目,其亂必甚矣。夫耳目之可以斷也,反情性也;聽失於誹譽,而目淫於采色,而欲得事正,則難矣。夫載哀者聞歌聲而泣,載樂者見哭者而笑。哀可樂者,笑可哀者,載使然也,是故貴虛。故水擊則波興,氣亂則智昏。

新字:故古之聖王,能得諸己,故令行禁止,名伝後世,徳施四海。是故凡将舉事,必先平意清神。神清意平,物乃可正。若璽之抑埴,正与之正,傾与之傾。故堯之舉舜也,決之於目;桓公之取甯戚也,断之於耳而已矣。為是釈術数而任耳目,其乱必甚矣。夫耳目之可以断也,反情性也;聴失於誹誉,而目淫於采色,而欲得事正,則難矣。夫載哀者聞歌声而泣,載楽者見哭者而笑。哀可楽者,笑可哀者,載使然也,是故貴虚。故水擊則波興,気乱則智昏。

書き下し

故に古の聖王は、能く諸を己に得たり。故に令 行われ禁 止み、名 後世に傳わり、德 四海に施さる。是の故に凡そ將に事を舉げんとするに、必ず先ず意を平らかにし神を清くす。神 清く意 平らかなれば、物 乃ち正す可し。璽の埴に抑すが若し。正しければ之と正しく、傾けば之と傾く。故に堯の舜を舉ぐるや、之を目に決す。桓公の甯戚を取るや、之を耳に斷ずるのみ。是が為に術數を釋てて耳目に任ずれば、其の亂るること必ず甚だしからん。夫れ耳目の以て斷ず可きは、情性に反ればなり。聽くこと誹譽に失し、而して目 采色に淫して、事を正しくするを得んと欲すれば、則ち難し。夫れ哀を載する者は歌聲を聞きて泣き、樂を載する者は哭する者を見て笑う。哀しみて樂しむ可き者、笑いて哀しむ可き者は、載する所 然らしむるなり。是の故に虛を貴ぶ。故に水 擊てば則ち波 興り、氣 亂るれば則ち智 昏し。

現代語訳

だから昔の聖王は、それを自分の中に得ていた。だから令は行われ禁は守られ、名は後の世に伝わり、徳は四海に施された。だから事を起こそうとするときは、必ずまず思いを平らかにし心を清くする。心が清く思いが平らかであれば、物事は正せる。印を粘土に押すようなものだ。正しければそのとおり正しく写り、傾いていればそのとおり傾いて写る。だから堯が舜を挙げたのは目で決め、桓公が寧戚を取ったのは耳で断じただけである。だからといって手立てや数を捨てて耳目に任せれば、乱れはひどいものになる。耳目で断じられたのは、情と性に返っていたからである。聞くことが評判に振り回され、目が色に溺れていて、それで事を正しくしようとするのは難しい。哀しみを載せている者は歌声を聞いて泣き、楽しみを載せている者は哭する者を見て笑う。哀しみが楽しみになり、笑いが哀しみになるのは、載せているものがそうさせるのである。だから虚しくしていることを貴ぶ。水は打てば波が立ち、気が乱れれば知恵は暗くなる。

解説

「璽の埴に抑すが若し。正しければ之と正しく、傾けば之と傾く」。判子を粘土に押すのと同じで、こちらが傾いていれば傾いたまま写る。だから事を起こす前に「意を平らかにし神を清くす」。堯や桓公が目や耳だけで人を見抜けたのも、載せているものが無かったから、と説明されます。哀しみを載せていれば歌声で泣き、楽しみを載せていれば哭を見て笑う。判断の前に、自分が何を載せているかを見る話です。

この章句が説くこと

凡そ将に事を舉げんとするに必ず先ず意を平らかにし神を清くす璽の埴に抑すが若し正しければ之と正しく傾けば之と傾く術数を釈てて耳目に任ずれば其の乱るること必ず甚だし哀を載する者は歌声を聞きて泣き楽を載する者は哭する者を見て笑う水擊てば則ち波興り気乱るれば則ち智昏し判断

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