淮南子 / 要略
其言有小有巨,有微有粗,指奏卷異,各有為語。今專言道,則無不在焉,然而能得本知末者,其唯聖人也。今學者無聖人之才,而不為詳說,則終身顛頓乎混溟之中,而不知覺寤乎昭明之術矣。
新字:其言有小有巨,有微有粗,指奏巻異,各有為語。今専言道,則無不在焉,然而能得本知末者,其唯聖人也。今学者無聖人之才,而不為詳説,則終身顛頓乎混溟之中,而不知覚寤乎昭明之術矣。
書き下し
其の言に小有り巨有り、微有り粗有り。指奏 卷ごとに異なり、各々語を爲す有り。今 專ら道を言わば、則ち在らざる無し。然れども能く本を得て末を知る者は、其れ唯だ聖人のみ。今 學ぶ者に聖人の才無くして、詳說を爲さずんば、則ち終身 混溟の中に顛頓して、昭明の術に覺寤するを知らず。
現代語訳
その言葉には小さいものと大きいもの、微かなものと粗いものがある。趣旨は巻ごとに異なり、それぞれの語り方がある。もっぱら道だけを語れば、そこに含まれないものはない。それでも、根本をつかんで末まで見通せるのは、聖人だけである。いま学ぶ者に聖人の才がないのに、詳しく説かなければ、生涯ぼんやりした暗がりの中でつまずき続け、明るい術に目覚めることを知らないままになる。
解説
「道」の一語で言えば全部が含まれます。ただ、そこから末まで展開できるのは聖人だけ。だから詳しく説く、と。要約が親切ではない場面がある、という判断です。「終身 混溟の中に顛頓して」——短い真理を渡されただけの人が、一生分からないままつまずき続ける姿を、この著者は具体的に想像しています。要約が親切ではない場面がある、という判断になっています。
この章句が説くこと
其の言に小有り巨有り微有り粗有り指奏巻ごとに異なる今専ら道を言わば則ち在らざる無し然れども能く本を得て末を知る者は其れ唯だ聖人のみ今学ぶ者に聖人の才無くして詳説を為さずんば則ち終身混溟の中に顛頓して昭明の術に覚寤するを知らず詳説
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