淮南子 / 泰族訓
故事有鑿一孔而生百隟,樹一物而生萬葉者,所鑿不足以為便,而所開足以為敗,所樹不足以為利,而所生足以為濊。愚者惑於小利,而忘其大害。昌羊去蚤虱,而人弗庠者,為其來蛉窮也;狸執鼠,而不可脫於庭者,為捕雞也。故事有利於小而害於大,得於此而亡於彼者。故行棋者或食兩而路窮,或予踦而取勝。偷利不可以為行,而智術不可以為法。
新字:故事有鑿一孔而生百隟,樹一物而生万葉者,所鑿不足以為便,而所開足以為敗,所樹不足以為利,而所生足以為濊。愚者惑於小利,而忘其大害。昌羊去蚤虱,而人弗庠者,為其来蛉窮也;狸執鼠,而不可脱於庭者,為捕鶏也。故事有利於小而害於大,得於此而亡於彼者。故行棋者或食両而路窮,或予踦而取勝。偸利不可以為行,而智術不可以為法。
書き下し
故に事に一孔を鑿ちて百隟を生じ、一物を樹えて萬葉を生ずる者有り。鑿つ所は以て便と爲すに足らずして、開く所は以て敗と爲すに足る。樹うる所は以て利と爲すに足らずして、生ずる所は以て濊と爲すに足る。愚者は小利に惑いて、其の大害を忘る。昌羊は蚤虱を去るも、人 庠せざる者は、其の蛉窮を來すが爲なり。狸は鼠を執うるも、庭に脫す可からざる者は、雞を捕らうるが爲なり。故に事に小に利ありて大に害あり、此に得て彼に亡う者有り。故に棋を行る者は、或いは兩を食らいて路 窮まり、或いは踦を予えて勝を取る。利を偷むは以て行と爲す可からずして、智術は以て法と爲す可からず。
現代語訳
一つ穴を穿って百の隙間を生じ、一つ植えて万の葉を生じることがある。穿った穴は便利にするには足りないのに、開いた隙間は壊すには十分である。植えたものは利にするには足りないのに、生えたものは汚すには十分である。愚か者は小さな利に惑って、大きな害を忘れる。昌羊は蚤や虱を取り除くが、人が敷き詰めないのは、別の虫を呼び寄せるからである。狸は鼠を捕らえるが、庭に放しておけないのは、鶏を捕るからである。だから、小さいところで利があって大きいところで害があり、こちらで得てあちらで失うことがある。碁を打つ者は、二つ取って行き所がなくなることがあり、一目譲って勝ちを収めることがある。目先の利をかすめ取ることを行いにはできず、小手先の術を法にはできない。
解説
この章句が説くこと
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