淮南子 / 泰族訓
家老異飯而食,殊器而享,子婦跣而上堂,跪而斟羹,非不費也,然而不可省者,為其害義也。待媒而結言,聘納而取婦,初絻而親迎,非不煩也,然而不可易者,所以防淫也。使民居處相司,有罪相覺,於以舉奸,非不掇也,然而傷和睦之心,而構仇讎之怨。
新字:家老異飯而食,殊器而享,子婦跣而上堂,跪而斟羹,非不費也,然而不可省者,為其害義也。待媒而結言,聘納而取婦,初絻而親迎,非不煩也,然而不可易者,所以防淫也。使民居処相司,有罪相覚,於以舉奸,非不掇也,然而傷和睦之心,而構仇讎之怨。
書き下し
家老 飯を異にして食らい、器を殊にして享け、子婦 跣にして堂に上り、跪きて羹を斟むは、費えざるに非ざるなり。然れども省く可からざる者は、其の義を害するが爲なり。媒を待ちて言を結び、聘納して婦を取り、初めて絻して親迎するは、煩わしからざるに非ざるなり。然れども易う可からざる者は、淫を防ぐ所以なり。民をして居處 相い司り、罪有れば相い覺らしめ、以て奸を舉ぐるに於いては、掇らざるに非ざるなり。然れども和睦の心を傷りて、仇讎の怨を構う。
現代語訳
家の年長者が別の飯を食い、別の器で受け、嫁が素足で堂に上がり、跪いて羹を注ぐのは、費用がかからないわけではない。それでも省けないのは、省けば義を損なうからである。仲人を立てて話を結び、結納をして嫁を迎え、冠をつけて自ら迎えに行くのは、煩わしくないわけではない。それでも変えられないのは、みだらを防ぐためである。民に住まいを互いに監視させ、罪があれば互いに知らせさせるやり方は、悪事を挙げないわけではない。だが、和睦の心を損ない、敵意と怨みを作り出す。
解説
省ける手間と、省いてはいけない手間を分けています。年長者を別に扱う費用も、婚礼の煩雑さも、無駄に見えて義や節度を支えている。逆に、相互監視は効果があるのに退けられます。「和睦の心を傷りて、仇讎の怨を構う」——挙がる件数は増えても、隣人が敵になる。効率のよさが何を壊すかまで数えています。効率のよさが何を壊すかまで数えているのが要点です。
この章句が説くこと
家老飯を異にして食らい器を殊にして享く然れども省く可からざる者は其の義を害するが為なり媒を待ちて言を結び聘納して婦を取るは煩わしからざるに非ざるなり然れども易う可からざる者は淫を防ぐ所以なり民をして居処相い司り罪有れば相い覚らしむ和睦の心を傷りて仇讎の怨を構う手間
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