淮南子 / 泰族訓
故齊桓公亡汶陽之田而霸,智伯兼三晉之地而亡。聖人見禍福於重閉之內,而慮患於九拂之外者也。原蠶一歲再收,非不利也,然而王法禁之者,為其殘桑也。離先稻熟,而農夫耨之,不以小利傷大獲也。
新字:故斉桓公亡汶陽之田而覇,智伯兼三晋之地而亡。聖人見禍福於重閉之内,而慮患於九払之外者也。原蠶一歳再収,非不利也,然而王法禁之者,為其残桑也。離先稲熟,而農夫耨之,不以小利傷大獲也。
書き下し
故に齊の桓公 汶陽の田を亡いて霸たり、智伯 三晉の地を兼ねて亡ぶ。聖人は禍福を重閉の內に見て、患を九拂の外に慮る者なり。原蠶 一歲に再び收むるは、利あらざるに非ざるなり。然れども王法 之を禁ずる者は、其の桑を殘なうが爲なり。離は稻に先んじて熟す。而れども農夫 之を耨るは、小利を以て大獲を傷らざればなり。
現代語訳
斉の桓公は汶陽の田を手放して覇者となり、智伯は三晋の地を併せて滅んだ。聖人は禍と福を幾重にも閉ざされた奥に見て、憂いを遥か外側で慮る者である。蚕を年に二度収穫するのは、利がないわけではない。それでも王の法がこれを禁じたのは、桑を損なうからである。離という草は稲より先に実る。それでも農夫がこれを取り除くのは、小さな利で大きな収穫を損なわないためである。
解説
年二回の収繭は、その年の利益では正しい。それを法で禁じたのは、桑の木が痩せるからです。稲より早く実る草を抜くのも同じ理屈。目先の取れ高ではなく、翌年以降の取れ高で判断しています。冒頭の桓公と智伯も同じ形で、手放した側が覇者になりました。目先の取れ高ではなく、翌年以降の取れ高で判断しています。その年の利益では正しいことを、法で禁じたのが要点でした。
この章句が説くこと
斉の桓公汶陽の田を亡いて覇たり智伯三晉の地を兼ねて亡ぶ斉の桓公汶陽の田を亡いて覇たり智伯三晋の地を兼ねて亡ぶ聖人は禍福を重閉の内に見て患を九払の外に慮る者なり原蠶一歳に再び収むるは利あらざるに非ざるなり然れども王法之を禁ずる者は其の桑を残なうが為なり離は稲に先んじて熟す而れども農夫之を耨る小利を以て大獲を傷らざればなり
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