淮南子 / 泰族訓
晉獻公之伐驪,得其女,非不善也,然而史蘇歎之,見其四世之被禍也。吳王夫差破齊艾陵,勝晉黃池,非不捷也,而子胥憂之,見其必禽於越也。小白奔莒,重耳奔曹,非不困也,而鮑叔、咎犯隨而輔之,知其可與至於霸也。勾踐棲於會稽,修政不殆,謨慮不休,知禍之為福也。襄子再勝而有憂色,畏福之為禍也。
新字:晋献公之伐驪,得其女,非不善也,然而史蘇嘆之,見其四世之被禍也。呉王夫差破斉艾陵,勝晋黄池,非不捷也,而子胥憂之,見其必禽於越也。小白奔莒,重耳奔曹,非不困也,而鮑叔、咎犯随而輔之,知其可与至於覇也。勾践棲於会稽,修政不殆,謨慮不休,知禍之為福也。襄子再勝而有憂色,畏福之為禍也。
書き下し
晉の獻公の驪を伐ちて、其の女を得るは、善からざるに非ざるなり。然れども史蘇 之を歎ずるは、其の四世の禍を被るを見ればなり。吳王夫差 齊を艾陵に破り、晉に黃池に勝つは、捷ならざるに非ず。而れども子胥 之を憂うるは、其の必ず越に禽えらるるを見ればなり。小白 莒に奔り、重耳 曹に奔るは、困せざるに非ざるなり。而れども鮑叔・咎犯 隨いて之を輔くるは、其の與に霸に至る可きを知ればなり。勾踐 會稽に棲み、政を修めて殆らず、謨慮 休まざるは、禍の福と爲るを知ればなり。襄子 再び勝ちて憂色有るは、福の禍と爲るを畏るればなり。
現代語訳
晋の献公が驪戎を伐って、その娘を得たのは、悪いことではなかった。それでも史蘇が嘆いたのは、四代にわたる禍を見通したからである。呉王夫差が斉を艾陵で破り、晋に黄池で勝ったのは、勝利でなかったわけではない。それでも子胥が憂えたのは、必ず越に捕らえられると見たからである。小白が莒に逃れ、重耳が曹に逃れたのは、困窮でなかったわけではない。それでも鮑叔と咎犯が従って輔けたのは、ともに覇者に至れると知っていたからである。勾践が会稽に籠もり、政を修めて怠らず、思案をやめなかったのは、禍が福になると知っていたからである。襄子が二度勝って憂え顔だったのは、福が禍になるのを恐れたからである。
解説
この章句が説くこと
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