淮南子 / 泰族訓
商鞅為秦立相坐之法,而百姓怨矣;吳起為楚減爵祿之令。而功臣畔矣。商鞅之立法也,吳起之用兵也,天下之善者也。然商鞅之法亡秦,察於刀筆之跡,而不知治亂之本也。吳起以兵弱楚,習于行陳之事,而不知廟戰之權也。
新字:商鞅為秦立相坐之法,而百姓怨矣;吳起為楚減爵禄之令。而功臣畔矣。商鞅之立法也,吳起之用兵也,天下之善者也。然商鞅之法亡秦,察於刀筆之跡,而不知治乱之本也。吳起以兵弱楚,習于行陳之事,而不知廟戦之権也。
書き下し
商鞅 秦の爲に相坐の法を立てて、百姓 怨む。吳起 楚の爲に爵祿を減ずるの令を爲して、功臣 畔く。商鞅の法を立つるや、吳起の兵を用うるや、天下の善き者なり。然れども商鞅の法は秦を亡ぼす。刀筆の跡に察かにして、治亂の本を知らざればなり。吳起は兵を以て楚を弱くす。行陳の事に習いて、廟戰の權を知らざればなり。
現代語訳
商鞅は秦のために連座の法を立てて、民は怨んだ。呉起は楚のために爵禄を減らす令を作って、功臣は背いた。商鞅の立法も、呉起の用兵も、天下一のものであった。それでも商鞅の法は秦を滅ぼした。筆と刀の記録には詳しく、治乱の根本を知らなかったからである。呉起は兵によって楚を弱くした。陣立てのことには習熟していて、廟堂での戦いの機微を知らなかったからである。
解説
腕前は認めています。「天下の善き者なり」。それでも国を損ないました。商鞅は書類の上の運用には詳しく、治乱の根本を見ていなかった。呉起は陣立てに通じていて、朝廷の政治力学を知らなかった。専門の精度が高いほど、その外側が見えなくなる、という指摘です。
この章句が説くこと
商鞅秦の為に相坐の法を立てて百姓怨む吳起楚の為に爵禄を減ずるの令を為して功臣畔く商鞅の法を立つるや吳起の兵を用うるや天下の善き者なり商鞅の法は秦を亡ぼす刀筆の跡に察かにして治乱の本を知らざればなり吳起は行陳の事に習いて廟戦の権を知らざればなり専門
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