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淮南子 / 泰族訓

故弁冕輅輿,可服而不可好也;大羹之和,可食而不可嘗也;朱弦漏越,一唱而三歎,可聽而不可快也。故無聲者,正其可聽者也;其無味者,正其足味者也。吠聲清於耳,兼味快於口,非其貴也。故事不本于道德者,不可以為儀;言不合乎先王者,不可以為道;音不調乎《雅》、《頌》者,不可以為樂。

新字:故弁冕輅輿,可服而不可好也;大羹之和,可食而不可嘗也;朱弦漏越,一唱而三嘆,可聴而不可快也。故無声者,正其可聴者也;其無味者,正其足味者也。吠声清於耳,兼味快於口,非其貴也。故事不本于道徳者,不可以為儀;言不合乎先王者,不可以為道;音不調乎《雅》、《頌》者,不可以為楽。

書き下し

故に弁冕輅輿は、服す可くして好む可からざるなり。大羹の和は、食らう可くして嘗む可からざるなり。朱弦漏越、一たび唱えて三たび歎ずるは、聽く可くして快とす可からざるなり。故に聲無き者は、正に其の聽く可き者なり。其の味無き者は、正に其の味を足す者なり。吠聲の耳に清きも、兼味の口に快きも、其の貴きに非ざるなり。故に事の道德に本づかざる者は、以て儀と爲す可からず。言の先王に合わざる者は、以て道と爲す可からず。音の雅・頌に調わざる者は、以て樂と爲す可からず。

現代語訳

礼冠や礼服、儀式用の車は、着け用いるものであって、好んで楽しむものではない。大羹の味つけは、食べるものであって、味わって喜ぶものではない。朱塗りの弦の緩い音で、一人が唱えて三人が和すのは、聴くものであって、面白がるものではない。だから声のないものこそ、まさに聴くに堪えるものであり、味のないものこそ、まさに味を満たすものである。犬の吠える声が耳に澄んで聞こえても、こってりした味が口に快くても、貴ぶべきものではない。だから、道徳に基づかないことは手本にできず、先王に合わない言葉は道にできず、雅と頌に調わない音は楽にできない。

解説

礼服も、大羹も、一唱三嘆の楽も、どれも面白くはありません。「服す可くして好む可からず」「食らう可くして嘗む可からず」。刺激の弱さがそのまま値打ちになっている、という考え方です。「聲無き者は、正に其の聽く可き者なり」——刺激で選ばないという、この篇の一貫した基準です。

この章句が説くこと

弁冕輅輿は服す可くして好む可からざるなり大羹の和は食らう可くして嘗む可からざるなり朱弦漏越一たび唱えて三たび嘆ずるは聴く可くして快とす可からざるなり声無き者は正に其の聴く可き者なり其の味無き者は正に其の味を足す者なり事の道徳に本づかざる者は以て儀と為す可からず基準

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