淮南子 / 泰族訓
夫道,有形者皆生焉,其為親亦戚矣;享穀食氣者皆受焉,其為君亦惠矣;諸有智者皆學焉,其為師亦博矣。射者數發不中,人教之以儀則喜矣,又況生儀者乎!
新字:夫道,有形者皆生焉,其為親亦戚矣;享穀食気者皆受焉,其為君亦恵矣;諸有智者皆学焉,其為師亦博矣。射者数発不中,人教之以儀則喜矣,又況生儀者乎!
書き下し
夫れ道は、有形なる者 皆な焉に生ず。其の親たること亦た戚し。穀を享け氣を食らう者 皆な焉に受く。其の君たること亦た惠し。諸々の智有る者 皆な焉に學ぶ。其の師たること亦た博し。射る者 數々發して中たらざるに、人 之に教うるに儀を以てすれば則ち喜ぶ。又た況んや儀を生ずる者をや。
現代語訳
道からは、形あるものがみな生まれる。親としては、これほど身近なものはない。穀物を受け気を食らうものは、みなそこから受けている。君主としては、これほど恵み深いものはない。知恵ある者はみなそこに学ぶ。師としては、これほど広いものはない。射る者が何度放っても当たらないとき、狙い方を教えてやれば喜ぶ。まして、その狙い方そのものを生み出すものであればなおさらである。
解説
道を、親・君・師の三つになぞらえます。生む親であり、養う君であり、学ぶ相手としての師。締めが具体的で、当たらない射手に狙い方を教えれば喜ぶ、まして狙い方を生み出す元ならもっと喜ぶはずだ、と。抽象的な道の話を、道具を教わる嬉しさから引き上げていく運びです。抽象的な道の話を、道具を教わる嬉しさから引き上げる運びです。狙い方を生み出す元なら、もっと嬉しいはずだと締められます。
この章句が説くこと
道は有形なる者皆な焉に生ず其の親たること亦た戚し穀を享け気を食らう者皆な焉に受く其の君たること亦た恵し諸々の智有る者皆な焉に学ぶ其の師たること亦た博し射る者数々発して中たらざるに人之に教うるに儀を以てすれば則ち喜ぶ又た況んや儀を生ずる者をや道
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