淮南子 / 泰族訓
凡人之所以生者,衣與食也,今囚之冥室之中,雖養之以芻豢,衣之以綺繡,不能樂也。以目之無見,耳之無聞,穿隙穴,見雨零,則快然而歎之,況開戶發牖,從冥冥見炤々乎!從冥冥見炤々,猶尚肆然而喜,又況出室坐堂,見日月光乎!見日月光,曠然而樂,又況登泰山,履石封,以望八荒,視天都若蓋,江河若帶,又況萬物在其間者乎!其為樂豈不大哉!
新字:凡人之所以生者,衣与食也,今囚之冥室之中,雖養之以芻豢,衣之以綺繡,不能楽也。以目之無見,耳之無聞,穿隙穴,見雨零,則快然而嘆之,況開戸発牖,従冥冥見炤々乎!従冥冥見炤々,猶尚肆然而喜,又況出室坐堂,見日月光乎!見日月光,曠然而楽,又況登泰山,履石封,以望八荒,視天都若蓋,江河若帯,又況万物在其間者乎!其為楽豈不大哉!
書き下し
凡そ人の生くる所以の者は、衣と食となり。今 之を冥室の中に囚えば、之を養うに芻豢を以てし、之に衣するに綺繡を以てすと雖も、樂しむ能わざるなり。目に見る無く、耳に聞く無きを以てなり。隙穴を穿ちて、雨の零るを見れば、則ち快然として之を歎ず。況んや戶を開き牖を發き、冥冥從り炤炤を見るをや。冥冥從り炤炤を見るすら、猶お尚お肆然として喜ぶ。又た況んや室を出でて堂に坐し、日月の光を見るをや。日月の光を見て、曠然として樂しむ。又た況んや泰山に登り、石封を履み、以て八荒を望み、天都を視ること蓋の若く、江河 帶の若く、又た況んや萬物の其の間に在る者をや。其の樂と爲すこと豈に大ならずや。
現代語訳
人が生きるのに要るのは、衣と食である。だが暗い部屋に閉じ込めれば、よい肉で養い、綾錦を着せても、楽しむことはできない。目に見えるものがなく、耳に聞こえるものがないからである。壁に隙間を穿って雨が降るのを見るだけで、晴れやかにため息をつく。まして戸を開け窓を開いて、暗がりから明るさを見るならなおさらだ。暗がりから明るさを見るだけでも心が伸びやかに喜ぶ。まして部屋を出て堂に座り、日月の光を見るならなおさらだ。日月の光を見て、広々と楽しむ。まして泰山に登り、封禅の石を踏み、八方の果てを望み、天の都を蓋のように見、長江や黄河を帯のように見るならなおさらだ。ましてその間にある万物を見るならなおさらである。その楽しみは、どれほど大きいことか。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』泰族訓人 高下を知らんと欲して能わざるに、之に教うるに管準を用うるを以てすれば則ち說ぶ。輕重を知らんと欲して以てする無きに、之に予うるに權衡を以てすれば則ち喜ぶ。遠近を知らんと欲して能わざるに、之に教うるに金目を以てすれば則ち射を快とす。又た況んや應ずること無方にして窮まらざるを知るをや。大難を犯して懾れず、煩繆を見て惑わず、晏然として自得す。其の樂と爲すや、豈に直だ一說の快のみならんや。
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『淮南子』精神訓今夫れ繇する者は钁臿を揭げ、籠土を負い、鹽汗交々流れ、喘息 喉に薄る。此の時に當たりて、越下に茠うを得れば、則ち脫然として喜ぶ。岩穴の間は、直だ越下の休みのみに非ざるなり。疵瘕を病む者は、心を捧げ腹を抑え、膝上に頭を叩き、踡跼して諦き、夕べを通じて寐ねず。此の時に當たりて、噲然として臥するを得れば、則ち親戚兄弟 歡然として喜ぶ。夫れ修夜の寧きは、直だ一噲の樂しみのみに非ざるなり。故に宇宙の大なるを知れば、則ち劫かすに死生を以てす可からず。養生の和を知れば、則ち縣くるに天下を以てす可からず。未生の樂しみを知れば、則ち畏れしむるに死を以てす可からず。許由の舜より貴きを知れば、則ち物を貪らず。牆の立つは、其の偃るるに若かず、又た況んや牆を為らざるをや。冰の凝るは、其の釋くるに若かず、又た況んや冰を為さざるをや。無より有に蹠き、有より無に蹠く。終始 端無く、其の萌す所を知る莫し。外內に通ずるに非ずんば、孰か能く好憎無からんや。外無きの外は、至って大なり。內無きの內は、至って貴し。能く大貴を知らば、何くに往くとして遂げざらん。
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『淮南子』泰族訓今 目は五色を悅び、口は滋味を嚼み、耳は五聲に淫し、七竅 交々爭いて以て其の性を害し、日々に邪欲を引きて其の身を澆う。夫れ調和は、身すら治むる能わず。天下を奈何せん。故に自ら養うに其の節を得れば、則ち民を養うに其の心を得ん。所謂 天下を有つ者とは、其の勢位を履み、傳籍を受け、尊號を稱するを謂うに非ず。天下の力を運らして、天下の心を得るを言うなり。
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『淮南子』詮言訓易に非ざれば以て大を治む可からず。簡に非ざれば以て眾を合す可からず。大樂は必ず易く、大禮は必ず簡なり。易し、故に能く天なり。簡なり、故に能く地なり。大樂に怨み無く、大禮に責め無し。四海の內、系統せざる莫し。故に能く帝たるなり。心に憂え有る者は、筐床衽席も、安んずる能わざるなり。菰飯犓牛も、甘しとする能わざるなり。琴瑟鳴竽も、樂しむ能わざるなり。患い解け憂え除かれて、然る後に食 甘く寢 甯く、居 安く遊 樂しむ。是に由りて之を觀れば、生に以て樂しむ有り、死に以て哀しむ有るなり。今 性の樂しむ能わざる所を益すを務めて、以て性の樂しむ所以を害す。故に富 天下を有ち、貴 天子と爲ると雖も、哀の人と爲るを免れず。凡そ人の性、恬を樂しみて憫を憎み、佚を樂しみて勞を憎む。心 常に欲無き、恬と謂う可し。形 常に事無き、佚と謂う可し。心を恬に游ばせ、形を佚に舍き、以て天命を俟つ。內に自ら樂しみ、外に急なる無し。天下の大なりと雖も、以て其の一概を易うるに足らず。日月 廋して志に溉ぐ無し。故に賤しと雖も貴きが如く、貧しと雖も富めるが如し。
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『淮南子』泰族訓天は其の高きを致し、地は其の厚きを致し、月は其の夜を照らし、日は其の晝を照らし、陰陽 化し、列星 朗らかなり。其の道に非ずして物 自ら然り。故に陰陽四時は、萬物を生ずるに非ざるなり。雨露 時に降るは、草木を養うに非ざるなり。神明 接し、陰陽 和して、萬物 生ず。故に高山深林は、虎豹の爲に非ざるなり。大木茂枝は、飛鳥の爲に非ざるなり。流源 千里、淵深 百仞なるは、蛟龍の爲に非ざるなり。其の高崇を致し、其の廣大を成せば、山居木棲、巢枝穴藏、水潛陸行、各々其の寧んずる所を得。
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『淮南子』原道訓大道坦坦として、身を去ること遠からず。之を近きに求むれば、往きて復た反る。迫れば則ち能く應じ、感ずれば則ち能く動く。物穆として窮まり無く、變じて形像無し。優游委縱、響の景に與けるが如し。高きに登り下に臨むも、秉る所を失う無く、危きを履み險を行くも、玄伏を忘るる無し。能く之を此に存すれば、其の德虧けず。萬物紛糅すれども、之と轉化し、以て天下に聽うこと、風に背きて馳するが若し。是を至德と謂う。至德なれば則ち樂しむ。古の人に巖穴に居りて神遺れざる者有り、末世に勢い萬乘と為りて日に憂悲する者有り。此に由りて之を觀れば、聖は人を治むるに亡くして、道を得るに在り。樂しみは富貴に亡くして、德の和に在り。己を大とし天下を小とするを知れば、則ち道に幾し。所謂樂しみなる者は、豈に必ずしも京臺・章華に處り、雲夢・沙丘に游び、耳に九韶・六瑩を聽き、口に煎熬芬芳を味わい、夷道に馳騁し、鷫鷞を釣射するを樂しみと謂わんや。吾が所謂樂しみなる者は、人其の得を得る者なり。夫れ其の得を得たる者は、奢を以て樂しみと為さず、廉を以て悲しみと為さず、陰と俱に閉じ、陽と俱に開く。故に子夏は心戰いて臞せ、道を得て肥ゆ。聖人は身を以て物に役せず、欲を以て和を滑さず。是の故に其の懽を為すや忻忻たらず、其の悲を為すや惙惙たらず。萬方百變、消搖して定まる所無くして、吾獨り慷慨し、物を遺れて道と出づるを同じくす。是の故に以て自ら之を得ること有らば、喬木の下、空穴の中も、以て情に適うに足る。以て自ら得ること無くんば、天下を以て家と為し、萬民を臣妾と為すと雖も、以て生を養うに足らず。能く無樂に至る者は、則ち樂しまざる無し。樂しまざる無ければ、則ち極樂に至る。