淮南子 / 詮言訓
非易不可以治大,非簡不可以合眾。大樂必易,大禮必簡。易故能天,簡故能地。大樂無怨,大禮不責,四海之內,莫不系統,故能帝也。心有憂者,筐床衽席,弗能安也;菰飯犓牛,弗能甘也;琴瑟鳴竽,弗能樂也。患解憂除,然後食甘寢甯,居安遊樂。由是觀之,生有以樂也,死有以哀也。今務益性之所不能樂,而以害性之所以樂,故雖富有天下,貴為天子,而不免為哀之人。凡人之性,樂恬而憎憫,樂佚而憎勞。心常無欲,可謂恬矣;形常無事,可謂佚矣。游心於恬,舍形於佚,以俟天命。自樂於內,無急於外,雖天下之大,不足以易其一概。日月廋而無溉於志,故雖賤如貴,雖貧如富。
新字:非易不可以治大,非簡不可以合眾。大楽必易,大礼必簡。易故能天,簡故能地。大楽無怨,大礼不責,四海之内,莫不系統,故能帝也。心有憂者,筐床衽席,弗能安也;菰飯犓牛,弗能甘也;琴瑟鳴竽,弗能楽也。患解憂除,然後食甘寝甯,居安遊楽。由是観之,生有以楽也,死有以哀也。今務益性之所不能楽,而以害性之所以楽,故雖富有天下,貴為天子,而不免為哀之人。凡人之性,楽恬而憎憫,楽佚而憎労。心常無欲,可謂恬矣;形常無事,可謂佚矣。游心於恬,舎形於佚,以俟天命。自楽於内,無急於外,雖天下之大,不足以易其一概。日月廋而無溉於志,故雖賤如貴,雖貧如富。
書き下し
易に非ざれば以て大を治む可からず。簡に非ざれば以て眾を合す可からず。大樂は必ず易く、大禮は必ず簡なり。易し、故に能く天なり。簡なり、故に能く地なり。大樂に怨み無く、大禮に責め無し。四海の內、系統せざる莫し。故に能く帝たるなり。心に憂え有る者は、筐床衽席も、安んずる能わざるなり。菰飯犓牛も、甘しとする能わざるなり。琴瑟鳴竽も、樂しむ能わざるなり。患い解け憂え除かれて、然る後に食 甘く寢 甯く、居 安く遊 樂しむ。是に由りて之を觀れば、生に以て樂しむ有り、死に以て哀しむ有るなり。今 性の樂しむ能わざる所を益すを務めて、以て性の樂しむ所以を害す。故に富 天下を有ち、貴 天子と爲ると雖も、哀の人と爲るを免れず。凡そ人の性、恬を樂しみて憫を憎み、佚を樂しみて勞を憎む。心 常に欲無き、恬と謂う可し。形 常に事無き、佚と謂う可し。心を恬に游ばせ、形を佚に舍き、以て天命を俟つ。內に自ら樂しみ、外に急なる無し。天下の大なりと雖も、以て其の一概を易うるに足らず。日月 廋して志に溉ぐ無し。故に賤しと雖も貴きが如く、貧しと雖も富めるが如し。
現代語訳
易しくなければ大きなものは治められない。簡素でなければ多くの人はまとめられない。大いなる楽は必ず易しく、大いなる礼は必ず簡素である。易しいから天でありえ、簡素だから地でありえる。大いなる楽には怨みがなく、大いなる礼には責めがない。四海の内で、つながらないものはない。だから帝でありえる。心に憂いのある者は、よい寝台も敷物も安らげない。うまい飯も肥えた牛も甘く感じない。琴も瑟も笛も楽しめない。患いが解け憂いが除かれて、はじめて食が甘く眠りが安らかになり、住まいが安らかで遊びが楽しくなる。これによって見れば、生には楽しむものがあり、死には哀しむものがある。いま、生まれつき楽しめないものを増やすことに努めて、生まれつき楽しめるもののほうを損なう。だから天下を持ち、天子として貴くても、哀しい人であることを免れない。人の性として、静けさを楽しみ気鬱を憎み、楽なことを楽しみ苦労を憎む。心に常に欲がないのを、静けさという。体に常に事がないのを、楽という。心を静けさに遊ばせ、体を楽に置いて、天命を待つ。内で自ら楽しみ、外に急ぐことがない。天下が大きくても、その一つの構えを変えるには足りない。日月が過ぎても志に注ぎ足すものがない。だから賤しくても貴いようであり、貧しくても富んでいるようである。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』精神訓今夫れ繇する者は钁臿を揭げ、籠土を負い、鹽汗交々流れ、喘息 喉に薄る。此の時に當たりて、越下に茠うを得れば、則ち脫然として喜ぶ。岩穴の間は、直だ越下の休みのみに非ざるなり。疵瘕を病む者は、心を捧げ腹を抑え、膝上に頭を叩き、踡跼して諦き、夕べを通じて寐ねず。此の時に當たりて、噲然として臥するを得れば、則ち親戚兄弟 歡然として喜ぶ。夫れ修夜の寧きは、直だ一噲の樂しみのみに非ざるなり。故に宇宙の大なるを知れば、則ち劫かすに死生を以てす可からず。養生の和を知れば、則ち縣くるに天下を以てす可からず。未生の樂しみを知れば、則ち畏れしむるに死を以てす可からず。許由の舜より貴きを知れば、則ち物を貪らず。牆の立つは、其の偃るるに若かず、又た況んや牆を為らざるをや。冰の凝るは、其の釋くるに若かず、又た況んや冰を為さざるをや。無より有に蹠き、有より無に蹠く。終始 端無く、其の萌す所を知る莫し。外內に通ずるに非ずんば、孰か能く好憎無からんや。外無きの外は、至って大なり。內無きの內は、至って貴し。能く大貴を知らば、何くに往くとして遂げざらん。
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『淮南子』本經訓天地の大なるは、矩表を以て識る可きなり。星月の行は、曆を以て推し得可きなり。雷震の聲は、鼓鐘を以て寫す可きなり。風雨の變は、音律を以て知る可きなり。是の故に大にして睹る可き者は、得て量る可きなり。明にして見る可き者は、得て蔽う可きなり。聲の聞く可き者は、得て調う可きなり。色の察す可き者は、得て別つ可きなり。夫れ至大は、天地も含む能わず。至微は、神明も領する能わず。律曆を建て、五色を別ち、清濁を異にし、甘苦を味わうに及びては、則ち樸 散じて器と為る。仁義を立て、禮樂を修むれば、則ち德 遷りて偽と為る。偽の生ずるに及ぶや、智を飾りて以て愚を驚かし、詐を設けて以て上を巧む。天下に能く之を持する者有り、能く之を治むる者有るなり。昔者 蒼頡 書を作りて、天 粟を雨らし、鬼 夜に哭す。伯益 井を作りて、龍 玄雲に登り、神 昆侖に棲む。能 愈々多くして德 愈々薄し。故に周鼎に倕を著し、其の指を銜ましめて、以て大巧の為す可からざるを明らかにす。故に至人の治や、心は神と處り、形は性と調い、靜かにして德を體し、動きて理 通ず。自然の性に隨いて已むを得ざるの化に緣り、洞然として無為にして天下自ら和し、憺然として無欲にして民自ら樸なり。𧝞祥無くして民 夭せず、忿爭せずして養い足り、海內を兼ね包み、澤 後世に及びて、之を為すは誰何なるかを知らず。是の故に生きては號無く、死しては諡無く、實 聚まらずして名 立たず。施す者は德とせず、受くる者は讓らず、德 交ごも歸す。而も之を充忍する莫きなり。
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『淮南子』詮言訓德を喜ぶ者は必ず怨み多く、予うるを喜ぶ者は必ず善く奪う。唯だ跡を無爲に滅して、天地の自然に隨う者のみ、唯だ能く理に勝ちて、名を受くると爲す。名 興れば則ち道 行われ、道 行わるれば則ち人 位無し。故に譽 生ずれば則ち毀 之に隨い、善 見わるれば則ち怨 之に從う。利は則ち害の始めと爲り、福は則ち禍の先と爲る。唯だ利を求めざる者のみ害無しと爲し、唯だ福を求めざる者のみ禍無しと爲す。侯にして霸を求むる者は、必ず其の侯を失う。霸にして王を求むる者は、必ず其の霸を喪う。故に國は全きを以て常と爲し、霸王は其の寄なり。身は生を以て常と爲し、富貴は其の寄なり。能く天下を以て其の國を傷らずして、國を以て其の身を害せざる者は、以て天下を托す可しと爲す。
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『淮南子』詮言訓天道に親無く、唯だ德にのみ是れ與す。道有る者は、時を失わずして人に與す。道無き者は、時を失いて人を取る。己を直くして命を待たば、時の至るは迎えて反す可からざるなり。要遮して合を求むれば、時の去るは追いて援く可からざるなり。故に我 以て爲す無しと曰わずして天下 遠ざかり、我 欲せずと曰わずして天下 至らず。古の己を存する者は、德を樂しみて賤を忘る。故に名 志を動かさず。道を樂しみて貧を忘る。故に利 心を動かさず。名利 天下に充つるも、以て志を概するに足らず。故に廉にして能く樂しみ、靜にして能く澹らかなり。故に其の身 治まる者は、與に道を言う可し。身より以上、荒芒に至るまで爾か遠し。死してより天下 窮まり無く爾か滔たり。數雜の壽を以て、天下の亂を憂うるは、猶お河水の少なきを憂えて、泣きて之を益すがごとし。龜は三千歳、浮游は三日に過ぎず。浮游を以て龜の爲に養生の具を憂うれば、人 必ず之を笑わん。故に天下の亂を憂えずして、其の身の治を樂しむ者は、與に道を言う可し。