淮南子 / 泰族訓
闔閭伐楚,五戰入郢,燒高府之粟,破九龍之鍾,鞭荊平王之墓,舍昭王之宮,昭王奔隨,百姓父兄攜幼扶老而隨之,乃相率而為致勇之寇,皆方命奮臂而為之鬥。當此之時,無將卒以行列之,各致其死,卻吳兵,復楚地。
新字:闔閭伐楚,五戦入郢,焼高府之粟,破九竜之鍾,鞭荊平王之墓,舎昭王之宮,昭王奔随,百姓父兄攜幼扶老而随之,乃相率而為致勇之寇,皆方命奮臂而為之鬥。当此之時,無将卒以行列之,各致其死,却吳兵,復楚地。
書き下し
闔閭 楚を伐ち、五たび戰いて郢に入る。高府の粟を燒き、九龍の鍾を破り、荊の平王の墓を鞭ち、昭王の宮に舍る。昭王 隨に奔る。百姓 父兄 幼を攜え老を扶けて之に隨い、乃ち相い率いて致勇の寇と爲る。皆な命を方くし臂を奮いて之が爲に鬥う。此の時に當たり、將卒の以て之を行列する無きも、各々其の死を致し、吳兵を卻けて、楚地を復す。
現代語訳
闔閭が楚を伐ち、五度戦って郢に入った。高府の穀物を焼き、九龍の鐘を壊し、楚の平王の墓を鞭打ち、昭王の宮殿に居座った。昭王は随の地へ逃げた。民は父兄が幼子の手を引き老人を支えて王に従い、そして互いに誘い合って、勇を尽くす兵となった。みな命令を待たずに腕を振るって戦った。このとき、隊列を組ませる将も兵もいなかったのに、それぞれ死力を尽くし、呉の軍を退けて、楚の地を回復した。
解説
都は落ち、王は逃げ、先王の墓まで鞭打たれました。それでも民は王について行き、命令もないまま自分たちで兵になった。「將卒の以て之を行列する無きも、各々其の死を致し」。組織が壊れた後に残るものが、この一件では見えています。次の段で、同じ楚の民の逆の姿が並びます。
この章句が説くこと
闔閭楚を伐ち五たび戦いて郢に入る荊の平王の墓を鞭ち昭王の宮に舎る昭王随に奔る百姓父兄幼を攜え老を扶けて之に随い乃ち相い率いて致勇の寇と為る皆な命を方くし臂を奮いて之が為に鬥う将卒の以て之を行列する無きも各々其の死を致し吳兵を却けて楚地を復す人心
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