淮南子 / 泰族訓
周處酆鎬之地,方不過百里,而誓紂牧之野,入據殷國,朝成湯之廟,表商容之閭,封比干之墓,解箕子之囚。乃折枹毀鼓,偃五兵,縱牛馬,搢笏而朝天下,百姓歌謳而樂之,諸侯執禽而朝之,得民心也。
新字:周処酆鎬之地,方不過百里,而誓紂牧之野,入拠殷国,朝成湯之廟,表商容之閭,封比干之墓,解箕子之囚。乃折枹毀鼓,偃五兵,縦牛馬,搢笏而朝天下,百姓歌謳而楽之,諸侯執禽而朝之,得民心也。
書き下し
周は酆鎬の地に處り、方 百里に過ぎず。而れども紂を牧の野に誓い、入りて殷國に據り、成湯の廟に朝し、商容の閭に表し、比干の墓を封じ、箕子の囚を解く。乃ち枹を折り鼓を毀ち、五兵を偃せ、牛馬を縱ち、笏を搢みて天下に朝す。百姓 歌謳して之を樂しみ、諸侯 禽を執りて之に朝するは、民心を得ればなり。
現代語訳
周は酆と鎬の地にあり、その広さは百里に過ぎなかった。それでも牧野で紂と決戦を誓い、殷の国に入って拠り、成湯の廟に参り、商容の里に表を立てて顕彰し、比干の墓に土を盛り、囚われていた箕子を解き放った。そして撥を折り太鼓を壊し、五つの武器を伏せ、牛馬を放ち、笏を帯びて天下に朝した。民は歌って喜び、諸侯は贈り物を持って朝見した。民の心を得たからである。
解説
勝った後にしたことが並びます。前王朝の始祖の廟に参り、隠棲した賢者の里を顕彰し、殺された忠臣の墓に土を盛り、囚われの賢者を解き放つ。倒した相手の側の善きものを、丁寧に立て直しています。そのうえで太鼓を壊し武器を伏せた。勝ち方より、勝った後の振る舞いが人心を決めています。
この章句が説くこと
周は酆鎬の地に処り方百里に過ぎず紂を牧の野に誓い入りて殷国に拠る成湯の廟に朝し商容の閭に表し比干の墓を封じ箕子の囚を解く乃ち枹を折り鼓を毀ち五兵を偃せ牛馬を縦つ百姓歌謳して之を楽しみ諸侯禽を執りて之に朝するは民心を得ればなり勝利
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