淮南子 / 詮言訓
天下非無信士也,臨貨分財,必控籌而定分,以為有心者之于平,不若無心者也。天下非無廉士也,然而守重寶者必關戶而全封,以為有欲者之于廉,不若無欲者也。人舉其疵則怨人,鑒見其醜則善鑒,人能接物而不與己焉,則免於累矣。公孫龍粲於辭而貿名,鄧析巧辯而亂法,蘇秦善說而亡國。由其道,則善無章;修其理,則巧無名。故以巧鬥力者,始于陽,常卒于陰;以慧治國者,始于治,常卒於亂。使水流下,孰弗能治;激而上之,非巧不能。故文勝則質掩,邪巧則正塞之也。
新字:天下非無信士也,臨貨分財,必控籌而定分,以為有心者之于平,不若無心者也。天下非無廉士也,然而守重宝者必関戸而全封,以為有欲者之于廉,不若無欲者也。人舉其疵則怨人,鑒見其醜則善鑒,人能接物而不与己焉,則免於累矣。公孫竜粲於辞而貿名,鄧析巧弁而乱法,蘇秦善説而亡国。由其道,則善無章;修其理,則巧無名。故以巧鬥力者,始于陽,常卒于陰;以慧治国者,始于治,常卒於乱。使水流下,孰弗能治;激而上之,非巧不能。故文勝則質掩,邪巧則正塞之也。
書き下し
天下に信士無きに非ざるなり。貨に臨み財を分かつに、必ず籌を控えて分を定むるは、心有る者の平に於けるは、心無き者に若かざるを以てなり。天下に廉士無きに非ざるなり。然れども重寶を守る者は必ず戶を關じて封を全うするは、欲有る者の廉に於けるは、欲無き者に若かざるを以てなり。人 其の疵を舉ぐれば則ち人を怨み、鑒 其の醜を見わせば則ち鑒を善しとす。人 能く物に接して己と與らざれば、則ち累を免る。公孫龍は辭に粲かにして名を貿い、鄧析は巧辯にして法を亂し、蘇秦は善説にして國を亡ぼす。其の道に由れば、則ち善に章無し。其の理を修むれば、則ち巧に名無し。故に巧を以て力を鬥わす者は、陽に始まりて、常に陰に卒わる。慧を以て國を治むる者は、治に始まりて、常に亂に卒わる。水をして下に流れしむれば、孰か能く治めざらん。激して之を上らすは、巧に非ざれば能わず。故に文 勝てば則ち質 掩われ、邪 巧なれば則ち正 之に塞がるなり。
現代語訳
天下に信のある士がいないのではない。それでも財に臨んで分けるとき、必ず籤を引いて取り分を決めるのは、心のある者の公平さは、心のない道具に及ばないからである。天下に清廉な士がいないのではない。それでも重い宝を守る者が必ず戸を閉め封を完全にするのは、欲のある者の清廉さは、欲のないものに及ばないからである。人が自分の疵を指摘すればその人を怨むが、鏡が自分の醜さを映せば鏡をよいものとする。人が物に接して自分を交えなければ、煩いを免れる。公孫龍は言葉に冴えて名を売り、鄧析は弁が巧みで法を乱し、蘇秦は説くのが上手くて国を亡ぼした。その道によれば、善に目立つところがない。その理を修めれば、巧みさに名がつかない。だから巧みさで力を競う者は、明るく始まって常に暗く終わる。賢さで国を治める者は、治まって始まって常に乱れて終わる。水を下へ流すなら、誰にでも扱える。逆流させて上らせるのは、巧みでなければできない。だから飾りが勝てば地が覆われ、邪が巧みになれば正しさはそれに塞がれる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尉繚子・將理凡そ将は理官なり、万物の主なり、一人に私せず。
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尚書・周官公を以て私を滅すれば、民其れ允に懷かん。
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老子・第5章天地は不仁、万物を以て芻狗と為す。聖人は不仁、百姓を以て芻狗と為す。天地の間は、其れ猶お橐籥のごときか。虚しくして屈きず、動きて愈々出づ。多言なれば数々窮す、中を守るに如かず。
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論語・季氏篇陳亢、伯魚に問いて曰く、「子も亦た異聞有りや。」対えて曰く、「未だし。嘗て独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『詩を学びたるか。』対えて曰く、『未だし。』『詩を学ばずんば、以て言うこと無し。』鯉退きて詩を学ぶ。他日、又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『礼を学びたるか。』対えて曰く、『未だし。』『礼を学ばずんば、以て立つこと無し。』鯉退きて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。」陳亢退きて喜びて曰く、「一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞けり。」
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」