淮南子 / 泰族訓
故百川並流,不注海者不為川穀;趨行蹐馳,不歸善者不為君子。故善言歸乎可行,善行歸乎仁義。田子方、段幹木輕爵祿而重其身,不以欲傷生,不以利累形,李克竭股肱之力,領理百官,輯穆萬民,使其君生無廢事,死無遺憂,此異行而歸於善者。
新字:故百川並流,不注海者不為川穀;趨行蹐馳,不帰善者不為君子。故善言帰乎可行,善行帰乎仁義。田子方、段幹木軽爵禄而重其身,不以欲傷生,不以利累形,李克竭股肱之力,領理百官,輯穆万民,使其君生無廃事,死無遺憂,此異行而帰於善者。
書き下し
故に百川 並び流るるも、海に注がざる者は川穀と爲さず。趨行 蹐馳するも、善に歸せざる者は君子と爲さず。故に善言は行う可きに歸し、善行は仁義に歸す。田子方・段幹木は爵祿を輕んじて其の身を重んじ、欲を以て生を傷らず、利を以て形を累わさず。李克は股肱の力を竭くし、百官を領理し、萬民を輯穆し、其の君をして生きては廢事無く、死しては遺憂無からしむ。此れ行を異にして善に歸する者なり。
現代語訳
百の川が並んで流れても、海に注がないものは川とは呼ばない。あちこち忙しく走り回っても、善に帰さないものは君子とは呼ばない。よい言葉は実行できることに帰し、よい行いは仁義に帰す。田子方と段干木は、爵禄を軽んじて自分の身を重んじ、欲のために生を損なわず、利のために身を煩わせなかった。李克は手足となって力を尽くし、百官を統べ治め、万民を和らげ、主君に、生きているうちは事を欠かせず、死んだ後に憂いを残させなかった。これが、行いは違っていて善に帰した者たちである。
解説
「海に注がざる者は川穀と爲さず」。流れているかどうかではなく、どこへ注いでいるか。前の章では正反対の行いがどちらも善とされましたが、その基準がここで示されます。爵禄を退けた田子方らと、官の実務を尽くした李克。生き方は正反対でも、注いだ先が同じでした。
この章句が説くこと
百川並び流るるも海に注がざる者は川穀と為さず趨行蹐馳するも善に帰せざる者は君子と為さず善言は行う可きに帰し善行は仁義に帰す田子方・段幹木は爵禄を軽んじて其の身を重んじ欲を以て生を傷らず李克は股肱の力を竭くし其の君をして生きては廃事無く死しては遺憂無からしむ帰着
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