淮南子 / 泰族訓
伊尹憂天下之不治,調和五味,負鼎俎而行。五就桀,五就湯,將欲以濁為清,以危為寧也。周公股肱周室,輔翼成王,管叔、蔡叔奉公子祿父而欲為亂,周公誅之以定天下,緣不得已也。管子憂周室之卑,諸侯之力征,夷狄伐中國,民不得寧處,故蒙恥辱而不死,將欲以憂夷狄之患,平夷狄之亂也。孔子欲行王道,東西南北七十說而無所偶,故因衛夫人、彌子瑕而欲通其道。此皆欲平險除穢,由冥冥至炤炤,動于權而統於善者也。
新字:伊尹憂天下之不治,調和五味,負鼎俎而行。五就桀,五就湯,将欲以濁為清,以危為寧也。周公股肱周室,輔翼成王,管叔、蔡叔奉公子禄父而欲為乱,周公誅之以定天下,縁不得已也。管子憂周室之卑,諸侯之力征,夷狄伐中国,民不得寧処,故蒙恥辱而不死,将欲以憂夷狄之患,平夷狄之乱也。孔子欲行王道,東西南北七十説而無所偶,故因衛夫人、弥子瑕而欲通其道。此皆欲平険除穢,由冥冥至炤炤,動于権而統於善者也。
書き下し
伊尹 天下の治まらざるを憂え、五味を調和し、鼎俎を負いて行く。五たび桀に就き、五たび湯に就くは、將に濁を以て清と爲し、危を以て寧と爲さんと欲すればなり。周公 周室に股肱たり、成王を輔翼す。管叔・蔡叔 公子祿父を奉じて亂を爲さんと欲す。周公 之を誅して以て天下を定む。已むを得ざるに緣るなり。管子 周室の卑しく、諸侯の力征し、夷狄の中國を伐ち、民の寧處するを得ざるを憂う。故に恥辱を蒙りて死せず、將に以て夷狄の患を憂え、夷狄の亂を平らげんと欲すればなり。孔子 王道を行わんと欲し、東西南北 七十説きて偶う所無し。故に衛夫人・彌子瑕に因りて其の道を通ぜんと欲す。此れ皆な險を平らげ穢を除き、冥冥に由りて炤炤に至り、權に動きて善に統ぶる者なり。
現代語訳
伊尹は天下が治まらないのを憂え、五味を調える料理人となり、鼎と俎を背負って歩いた。五度は桀のもとに行き、五度は湯のもとに行った。濁ったものを清くし、危ういものを安らかにしようとしてのことである。周公は周王室の手足となり、成王を補佐した。管叔と蔡叔が公子禄父を奉じて乱を起こそうとした。周公は彼らを誅して天下を定めた。やむを得ずしたことである。管仲は周王室が衰え、諸侯が力で攻め合い、異民族が中原を伐って、民が落ち着いて暮らせないのを憂えた。だから恥辱をこうむっても死ななかった。異民族の禍を憂え、その乱を平らげようとしてのことである。孔子は王道を行おうとして、東西南北七十度説いて、受け入れる者がなかった。だから衛の夫人や彌子瑕を頼って、自分の道を通そうとした。これらはみな、険しさを平らげ汚れを除き、暗いところを通って明るいところへ至り、臨機に動きながら善に束ねた者である。
解説
この章句が説くこと
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